知り合いのGREENZ.JP 副編集長スズキコウタが書いた記事。
僕もずっと「頑張って」とか「頑張ります」って聞くたびに違和感を感じる。もう十分に頑張っているし、頑張ることで余裕や喜びが生まれる気がしない。それより、「ありがとう」とか、「御陰さま」とかの方がずっとエネルギー的にはいいな。
頑張ること、努力することは悪いことじゃないと思うんだけど、なんか日本社会では乱用されているんじゃないかな?もっともっと、足りない足りないって聞こえてしまう。ありのままじゃだめなんだって。ただでさえ自信がない人が多い社会なのに、そこで頑張れ頑張れって言ってしまうと、破壊的な副作用があるんじゃないかな?
掛け声は大事だと思う。文化作りに大事なもの。掛け声はそこに集団意識を集める役割があるから。
僕だったら何がいいかな?冨田君だったら「養生!」とかかな。三宅洋平君は「ヤーマン」だね。ボブマーレーは「one love」とか「リスペクト!」。
ティクナットハンと愉快な僧侶達は「Breath and Smile」。最高!
日本人にはとくにこれ以上、頑張ってほしくない。 頑張りカルトに追い込まれている気がする。just relax. be happy. be alive! とりあえず、みんなに休んで欲しい。休む間もなく忙しいから、大事なものを見落して、自分も周りも苦しめてしまっているんじゃないかな?
なんのために頑張っているの?
頑張ったら幸せになるの?
平和になるの?
言葉を深く見つめて
言葉の選び方から社会を変えていこう
「be the change」とか
「愛に動かされて」って言葉が
電車のなかで普通に飛び交う様になったら
社会の方向性は大きく変わっていると思う。
海の電車妄想
サラリーマン田中「今日は愛に動かされて、社長に一日中共感してみちゃったよ。社長も人間なんだって思い出せた。みんな自分なりに最善を尽くして生きているんだな〜」
OL中田「田中さん素敵ですね。私も、実は、会社に向う途中にホームレスと出会ってしまって、心が動いちゃって、会社にいかずそのまま炊き出しすることにしちゃった。明日辞表を出して、ホームレス支援を今後やっていこうと思っているの。なんか、そんな自分がいるのが嬉しい。」
サラリーマン田中「いいね中田さん!ホームレスの炊き出しか〜。僕もずっと気になって痛んだよね。なにかワクワクしてきたぞ〜。一緒にやろう!」
後ろに立っていた学生田辺「すみません、僕も二人の話聞いていて心が動かされました。ホームレスがいるのに学校なんかに行っている場合じゃないですよね。僕もやりたいです。」
電車の中の興奮がどんどん飛び火して、車内で「ビーザーチェンジ!ビーザーチェンジ!」とチャンティングが始まった。めでたしめでたし
以下がインスピレーションになったGREENZ.JPの記事
日本語で誰かを力づけるときに「頑張れ」と言うけど、この言葉を解体すると”頑(かたくな)に張れ”。
背筋を心をピンと張りなさい、と。
なんか命令形ぽいし、好きになれない言葉かもしれない。
僕はかつてアメリカに住んでいたことがあるけれど、「がんばれ」を英訳すると「Do the best」とか「Work hard」となる。あまり言われたことがないし、このふたつの言葉を発せられたら、ちょっとプレッシャーを感じそうだ。
では、僕は当時、どんな言葉に力をもらってきたかというと、「Good luck(幸運を祈る)」だとか「Best wishes(成功を祈る)」、「Take it easy(気軽にね)」あたりだろう。「頑張れ」とは、ちょっと違う。
僕が「頑張れ」という言葉を好きになれない理由は、そんなアメリカ生活での体験もあるけれど、時にこの言葉が人を追い込んでしまうと感じることにもある。というのは、すでに頑張っている人に対して「頑張れ」って言っても、何のエンパワメントにもならない。むしろ「私は、もっとがんばらなきゃいけないの・・・?」と追い込んでしまいかねないのである。
実際に、東日本大震災を経て、被災者に「頑張れ」とエールを送ることは無配慮ではないかという指摘もあったようだ。
その点「Good luck」や「Take it easy」は、すでに頑張っている人にも有効で、かつあまりプレッシャーを与えずに人びとを勇気づけることができるのではないか?「頑張れ」というのは実に便利な言葉だ。それゆえ、つい口から出てしまうけど、僕は極力注意して使うようにしたい。
このように、ふと使ってしまう日本語に対して疑問を持つのは、実に意義深いし、かつ言葉を紡ぐことを生業にする人間として面白く感じる。
僕らの心やカラダが満たされる、奮い立たされる言葉ってなんだろう? それを追求するのは、greenz.jpという「ほしい未来は自分の手でつくろう」と挑戦する人びとを勇気づけるメディアの副編集長として大事な仕事かもしれない。そう、真剣に思う。
このコラムを読んでいるみなさんは、今までどんな言葉に勇気づけられてきたのだろう? ぜひSNSやコメント欄で教えてくれるとうれしい。
原文はここ
僕もずっと「頑張って」とか「頑張ります」って聞くたびに違和感を感じる。もう十分に頑張っているし、頑張ることで余裕や喜びが生まれる気がしない。それより、「ありがとう」とか、「御陰さま」とかの方がずっとエネルギー的にはいいな。
頑張ること、努力することは悪いことじゃないと思うんだけど、なんか日本社会では乱用されているんじゃないかな?もっともっと、足りない足りないって聞こえてしまう。ありのままじゃだめなんだって。ただでさえ自信がない人が多い社会なのに、そこで頑張れ頑張れって言ってしまうと、破壊的な副作用があるんじゃないかな?
掛け声は大事だと思う。文化作りに大事なもの。掛け声はそこに集団意識を集める役割があるから。
僕だったら何がいいかな?冨田君だったら「養生!」とかかな。三宅洋平君は「ヤーマン」だね。ボブマーレーは「one love」とか「リスペクト!」。
ティクナットハンと愉快な僧侶達は「Breath and Smile」。最高!
日本人にはとくにこれ以上、頑張ってほしくない。 頑張りカルトに追い込まれている気がする。just relax. be happy. be alive! とりあえず、みんなに休んで欲しい。休む間もなく忙しいから、大事なものを見落して、自分も周りも苦しめてしまっているんじゃないかな?
なんのために頑張っているの?
頑張ったら幸せになるの?
平和になるの?
言葉を深く見つめて
言葉の選び方から社会を変えていこう
「be the change」とか
「愛に動かされて」って言葉が
電車のなかで普通に飛び交う様になったら
社会の方向性は大きく変わっていると思う。
海の電車妄想
サラリーマン田中「今日は愛に動かされて、社長に一日中共感してみちゃったよ。社長も人間なんだって思い出せた。みんな自分なりに最善を尽くして生きているんだな〜」
OL中田「田中さん素敵ですね。私も、実は、会社に向う途中にホームレスと出会ってしまって、心が動いちゃって、会社にいかずそのまま炊き出しすることにしちゃった。明日辞表を出して、ホームレス支援を今後やっていこうと思っているの。なんか、そんな自分がいるのが嬉しい。」
サラリーマン田中「いいね中田さん!ホームレスの炊き出しか〜。僕もずっと気になって痛んだよね。なにかワクワクしてきたぞ〜。一緒にやろう!」
後ろに立っていた学生田辺「すみません、僕も二人の話聞いていて心が動かされました。ホームレスがいるのに学校なんかに行っている場合じゃないですよね。僕もやりたいです。」
電車の中の興奮がどんどん飛び火して、車内で「ビーザーチェンジ!ビーザーチェンジ!」とチャンティングが始まった。めでたしめでたし
以下がインスピレーションになったGREENZ.JPの記事
日本語で誰かを力づけるときに「頑張れ」と言うけど、この言葉を解体すると”頑(かたくな)に張れ”。
背筋を心をピンと張りなさい、と。
なんか命令形ぽいし、好きになれない言葉かもしれない。
僕はかつてアメリカに住んでいたことがあるけれど、「がんばれ」を英訳すると「Do the best」とか「Work hard」となる。あまり言われたことがないし、このふたつの言葉を発せられたら、ちょっとプレッシャーを感じそうだ。
では、僕は当時、どんな言葉に力をもらってきたかというと、「Good luck(幸運を祈る)」だとか「Best wishes(成功を祈る)」、「Take it easy(気軽にね)」あたりだろう。「頑張れ」とは、ちょっと違う。
僕が「頑張れ」という言葉を好きになれない理由は、そんなアメリカ生活での体験もあるけれど、時にこの言葉が人を追い込んでしまうと感じることにもある。というのは、すでに頑張っている人に対して「頑張れ」って言っても、何のエンパワメントにもならない。むしろ「私は、もっとがんばらなきゃいけないの・・・?」と追い込んでしまいかねないのである。
実際に、東日本大震災を経て、被災者に「頑張れ」とエールを送ることは無配慮ではないかという指摘もあったようだ。
その点「Good luck」や「Take it easy」は、すでに頑張っている人にも有効で、かつあまりプレッシャーを与えずに人びとを勇気づけることができるのではないか?「頑張れ」というのは実に便利な言葉だ。それゆえ、つい口から出てしまうけど、僕は極力注意して使うようにしたい。
このように、ふと使ってしまう日本語に対して疑問を持つのは、実に意義深いし、かつ言葉を紡ぐことを生業にする人間として面白く感じる。
僕らの心やカラダが満たされる、奮い立たされる言葉ってなんだろう? それを追求するのは、greenz.jpという「ほしい未来は自分の手でつくろう」と挑戦する人びとを勇気づけるメディアの副編集長として大事な仕事かもしれない。そう、真剣に思う。
このコラムを読んでいるみなさんは、今までどんな言葉に勇気づけられてきたのだろう? ぜひSNSやコメント欄で教えてくれるとうれしい。
原文はここ