戦争法案に反対する国会前抗議行動は7月15〜17
新感覚の民主主義を体感してみませんか?
***
パーマカルチャーと政治の関係僕はパーマカルチャーアクティビスト(運動家)なので、自給自足より地球持続に関心があり、そのためには政治や経済を変える必要があると信じている。政治と経済の中心は首都なので、首都をデザインし直す事を目的として、東京アーバンパーマカルチャーを始めた。サティッシュ・クマールの言うSoul(精神)Soil(土)Society(社会)の三つの次元で修行を積みながら動いている。僕たちは都会の問題からは逃げられない時代に突入。The problem is the solution. じゃ、都会で実験して革新的な解決策を探そう!
パーマカルチャーの倫理
地球を大事にする
人を大事にする
分かち合う
http://www.permanentculturenow.com/what-is-activism/
***
イルコモンズが書いた「民主々義の夜のルックス」に触発されて、ちょっと書きたくなった
以下は僕も参加した【変化】の瞬間。
「このとき、ヘリで中継していた白石さん(アワプラネットTV)が、思わず「すごいきれい」って口にしたけど(3分6秒目)、ほんとに、きれいだと思う。そして、まさにこれが「ディス・イズ・ワット・デモクラシー・ルックス・ライク(=民主主義のすがたってこういうもの)」だと思う。」イルコモンズ
ルールを守るプロの日本人が、警察の指示に従わずに道路に出た瞬間はとても不思議な現象だった。デモにこれだけの日本人(しかも若者や女性!)が集まる事さえも不思議な現象だと思う。日本市民は確実に変わり始めている。日本だけじゃない。抑圧的な中国政府に対しても、多くの中国市民が環境問題、政府の汚職問題、人権などをどうどうと訴え始めた(厳しい罰があるのにも関わらず)。世界中で市民が大きく動き出している。命を守るために地球市民達が立ち上がっている。若者も、お年寄りも、女性も、お金持ちも。戦争と戦争ビジネス、気候変動と生物の絶滅、奴隷や人身売買、テロ組織の進化、歴史的な国債、広がる貧富の格差などなど、超絶望の時代とも言えるけど、創造的に世界中で命がけで不可能を可能にしている市民を見るとワクワクの時代とも言える。僕にとっても成功するかしないかより、命のために動く、生きるを選択することがポイントだと思う。僕たちはビジネスをするために生まれた訳ではない。死ぬ時はお金も物も全部手放せざる終えない。じゃ、何のために生きるのか?
【愛のために生きる】が僕が見つけた道。
(黒澤明監督)
僕の短い人生を愛のために捧げたい。命の生態系の一員として、僕にできることを貢献したい。みんなも本当はそうじゃないのかな?ただ、恐れや絶望、無力感や忙しさに囚われてしまっているだけで。僕も、東京に移住したとき鬱を体験した。絶望と無力感に包まれた毎日だった。鬱はこの時代のクレージーさに対して正常な反応かもしれない。平和心理学の授業で「異常事態の中で正常な反応とは?」というテーマを取り上げた事がある。なにが正常かは分からないけど、今の僕は「生きる」事を選択している。そして、生きる目的として【愛】を追求したい。「でも、それじゃー食っていけないよ」と僕の中の資本主義教徒が心配してくれる。大丈夫、創造力があれば生活なんて何とかなる。仕事がなくなっても、社会が崩壊しても。生きる手段は創造力があれば無限大。創造力の芽はみんな持っている。違いは水やりをするかどうか。
夏のお得情報!
この【愛】の道を今選ぶと仲間が沢山ついてきます!夏のスペシャルキャンペーン!さらに、【自由】と【学び】と【生き生き感】入り福袋がもれなく当たる。苦労もあるけど、現状維持の苦労と創造的人生の苦労とは味が違う。
Live Life
愛のある時代を育てよう
これしかないでしょう?!!
で、
デモの話に戻ると。。。
僕はデモが好き。
デモは特別な世界。多くの人と自分の利益のためではなく、信じるものを共に表現をする活動。子供の時に植え付けられた、自主規制システムを改造している感じもして、ちょっとずつデモなどを通して自由になれてきた。普段とは全然違う視点から現実をとらえる事も僕は好きで、毎回色々考えさせられる。たまにデモで時代が変わる事もある。世界中の人との出会いもあるし。エキサザイズにもなる。音楽やアートがあるとなお最高!やっぱデモは好きだな〜。一緒に民主主義の実践をしよう!Let's Demo!!!
Wikipediaでデモ活動を調べてたら、日本のデモ事情が面白かったので、紹介するね。長くなったけど、是非目を通してみてね。
日本でのデモ
日本にデモンストレーションという言葉が紹介されたのは20世紀の初めだとされ、示威行為と訳された(現在も「集団示威運動」の語が法令に存在する)。それ以前には百姓一揆のようなデモと暴動がセットになった行動もあり、打ちこわしでは襲撃しても略奪まではしないなど、独自の掟がある暴動まで存在した。
日本で非暴力を主とするデモが盛り上がりを見せたのは労働条件の改善を訴え1920年から始まったメーデーからであろう。しかし次第に軍国主義化していく日本では、個人・労働者の権利より国策が優先され、政府によって厳しく制限されるようになり、ついにはメーデーも禁止されるようになってしまった。
終戦後、メーデーが復活し、1950、60年代には労働組合の成熟や日本の学生運動の盛り上がりなどから、デモは一般的なものになった。なお終戦翌年の1946年には食糧難・物資不足から1千万人餓死説も囁かれ「米よこせデモ」が発生し、デモ隊が皇居に入ることも起こった[2]。1960年の安保闘争ではあらゆる地域・階層を巻き込んで国民的規模でデモ活動が展開された。
1990年代以降は労働運動の衰退、社会の安定、若者の政治離れ、日本の新左翼の展開したテロリズムへの反発、街頭での示威行為の規制強化などもあり、日本におけるデモは衰退傾向になった。ただ、2003年のイラク戦争に対する反戦デモは東京の中央集会だけで5万人が集まった。
戦後の日本でデモと言えば、先述の安保闘争や反戦・反核といった左翼・リベラル系市民団体による徒歩デモや、右翼による街宣車を連ねる車両デモが主流だったが、2000年代後半以降は左翼系市民団体や行動する保守と呼ばれる右翼系市民団体はインターネットなどを通じた草の根運動化がそれぞれ進み、従来のデモとは異なり特定の所属組織を持たない一般市民を巻き込んだ徒歩デモが目立つようになった。2011年の福島第一原子力発電所事故がきっかけで同年6月11日に新宿で行われた「6.11 新宿原発やめろデモ!!!!!」は主催者発表で2万人が参加し、反原発デモはその後も2012年7月16日に主催者発表で約17万・警察発表で約7万5千人が参加した「さようなら原発10万人集会」など何度も行われ、毎週金曜日の夜に官邸前で行われたデモでは数万人規模となることもあった(6月29日は10数万人が警察の規制を振り切り国会議事堂正門前から皇居外堀通りに向かう車道を埋めたと伝えられている[3][4])[5][6][7][8][9]。他に、尖閣諸島抗議デモ、竹島奪還デモ、外国人参政権反対デモ、フジテレビ抗議デモ、日韓断交デモ、特定秘密保護法反対デモ、集団的自衛権反対デモなども各地で行われ、2013年には排外・反韓デモでヘイトスピーチ(憎悪表現)を叫ぶデモと、その主張に反対するカウンターデモが行われ応酬することも起こるなど[10][11]、デモは多様化にある。
日本の場合警備が厳しく、デモ隊より警備の警察官の方が多くなることもしばしばあり、さらに警察官がデモ隊をぐるりと包囲する形で監視していることもしばしばみられる。これは、警察がデモ活動を周囲の見物人や通行人などと切り離し、飛び入り参加者を阻止するためで、このために歩行者などにデモに気を取られて立ち止まらないよう呼びかけることも行われる[要出典]。これにより、日本でのデモ活動では事前計画を超えることが難しく、デモが自然発生的に大規模化する現象が起りにくい。
日本のデモは諸外国に比べると穏やかものとなっている(そもそも参加人数自体が欧米やアラブなど諸国に比べ[12]非常に少ないので混乱もそれに応じて少ない)。しかし、日本におけるデモにおいてもかつての安保闘争の国会デモなど、怪我人を出す暴力性が見られることもある。
日本で「デモ活動」(公安条例には「集団示威運動」とあり、「デモ行進」に限定されていないため、「デモ活動」と表現)を行うにあたり、道路上でデモ活動を行う場合は道路交通法77条に基づき所轄警察署長の許可を受ける必要があるほか、デモ活動を行う都県または市が公安条例を定めている場合はそれに従う必要がある。国会議事堂、外国大使館・領事館、政党事務所などの周辺部では国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律が適用される地域として指定されている場所があり、その場所では拡声器を用いたデモ活動が制限されている。また破壊活動防止法では破壊的団体に対して6ヶ月間以内の期限と地域を定めてデモ活動を禁止させることができる規定が存在する。