ヴィパッサナ瞑想の十日間の最後に
講話で聞いたお話
講話は英語で聞いたんだけど、以下は
「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 」
という本から引用したもの
平和にもパーマカルチャーにも
通ずる大事な叡智が含まれていると思う
ーーーーーー
あるとき、若い大学教授が船旅をしていました。
教授は非常に強要が高く、
肩書きを幾つも持っていましたが、
少々せけんにうといところがあります。
同じ船に無学の年老いた船乗りが乗っておりました。
船乗りは毎晩この教授の船室に通い、
いろいろな話を聞いていました。
そして、若い教授がたいそうものしりなので関心しておりました。
ある晩、長話をしたあと船室を出ようとすると、
若い教授が老いた船乗りに尋ねました。
「おじさん、あなたは地学を勉強したことがありますか?」
「そいつはなんだね、先生」
「地球についての学問ですよ」
「いや、わしは学校に行ってないし、勉強なんてしたこともないもんで」
「おじさん、それじゃ、あなたは人生の四分の一を棒にふってしまいましたね」
「老いたた船乗りは浮かぬ顔をして教授の部屋を出ました。
「あんな物知りの先生の言うことだ、ほんとうだろう。わしは人生の四分の一を棒にふっちまったらしい」気の毒な船乗りはそう考えました。
次の晩、船乗りが部屋をでようとすると教授がまた訪ねました。
「おじさんは、海洋学を勉強したことがありますか?」
「かいようがく?そいつは何だね、先生」
「海についての学問ですよ」
「いや、わしはそんなもの勉強したことはない」
「おじさん、それじゃあ、あなたは人生の半分を棒にふってしまいましたね」
老いた船乗りはまたまた浮かぬ顔をして部屋を出ていきました。
「わしは人生の半分を棒にふっちまったのか。あんな大先生のいうことだ、ほんとうだろう」
さらにつぎの晩、船乗りが部屋を出ようとすると教授がまたたずねました。
「おじさん、あなたは気象学というのを勉強したことありますか?」
「きしょうがく?そいつはなんだね、先生、聞いたこともないですや」
「風や雨や天気についての学問ですよ」
「いや、前にも言ったがね、わしは学校に行ってないし、勉強なんてもんは金輪際したこともねえ」
「おやおや、おじさん、あなたは自分の住んでいる地球の勉強も、暮らしを立てている海の勉強も、毎日めぐりあう気象の勉強もしたことがないのですか。おじさん、それじゃあ、あなたは人生の四分の三を棒にふってしまいましたね」
老いた船乗りはがっかりして肩を落としました。
「こんな大先生が、わしは人生の四分の三を棒にふったと言う。こりゃ本当にわしは人生の四分の三を棒にふっちまったにちがいない」
つぎの日、こんどは船乗りの番でした。
彼は若い教授の船室にとび込んできて叫びました。
「先生!先生はおよぎ学をやったかね」
「およぎがく?いったいどういう意味ですか」
「先生は泳げるか、と聞いとるんだよ」
「いや、わたしは泳ぎはできないが」
「そりゃあ先生、先生はいのち全部、棒にふっちまった!船が岩にぶつかって、もう沈没前なんじゃ。泳げるもんは助かるが、泳げんもんは溺れ死ぬ。気の毒だがおしまいじゃ、先生はいのち全部棒にふっちまった!」
この世の中でおよそ「なになに学」と名のつくものを残らず勉強したとしても、泳げなければ一巻の終りです。水泳の本を読んだり書いたり、あるいは水泳についてりっぱな議論ができても実際に水の中に入らなければお話になりません。
泳ぎをおぼえましょう。
講話で聞いたお話
講話は英語で聞いたんだけど、以下は
「ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 」
という本から引用したもの
平和にもパーマカルチャーにも
通ずる大事な叡智が含まれていると思う
ーーーーーー
あるとき、若い大学教授が船旅をしていました。
教授は非常に強要が高く、
肩書きを幾つも持っていましたが、
少々せけんにうといところがあります。
同じ船に無学の年老いた船乗りが乗っておりました。
船乗りは毎晩この教授の船室に通い、
いろいろな話を聞いていました。
そして、若い教授がたいそうものしりなので関心しておりました。
ある晩、長話をしたあと船室を出ようとすると、
若い教授が老いた船乗りに尋ねました。
「おじさん、あなたは地学を勉強したことがありますか?」
「そいつはなんだね、先生」
「地球についての学問ですよ」
「いや、わしは学校に行ってないし、勉強なんてしたこともないもんで」
「おじさん、それじゃ、あなたは人生の四分の一を棒にふってしまいましたね」
「老いたた船乗りは浮かぬ顔をして教授の部屋を出ました。
「あんな物知りの先生の言うことだ、ほんとうだろう。わしは人生の四分の一を棒にふっちまったらしい」気の毒な船乗りはそう考えました。
次の晩、船乗りが部屋をでようとすると教授がまた訪ねました。
「おじさんは、海洋学を勉強したことがありますか?」
「かいようがく?そいつは何だね、先生」
「海についての学問ですよ」
「いや、わしはそんなもの勉強したことはない」
「おじさん、それじゃあ、あなたは人生の半分を棒にふってしまいましたね」
老いた船乗りはまたまた浮かぬ顔をして部屋を出ていきました。
「わしは人生の半分を棒にふっちまったのか。あんな大先生のいうことだ、ほんとうだろう」
さらにつぎの晩、船乗りが部屋を出ようとすると教授がまたたずねました。
「おじさん、あなたは気象学というのを勉強したことありますか?」
「きしょうがく?そいつはなんだね、先生、聞いたこともないですや」
「風や雨や天気についての学問ですよ」
「いや、前にも言ったがね、わしは学校に行ってないし、勉強なんてもんは金輪際したこともねえ」
「おやおや、おじさん、あなたは自分の住んでいる地球の勉強も、暮らしを立てている海の勉強も、毎日めぐりあう気象の勉強もしたことがないのですか。おじさん、それじゃあ、あなたは人生の四分の三を棒にふってしまいましたね」
老いた船乗りはがっかりして肩を落としました。
「こんな大先生が、わしは人生の四分の三を棒にふったと言う。こりゃ本当にわしは人生の四分の三を棒にふっちまったにちがいない」
つぎの日、こんどは船乗りの番でした。
彼は若い教授の船室にとび込んできて叫びました。
「先生!先生はおよぎ学をやったかね」
「およぎがく?いったいどういう意味ですか」
「先生は泳げるか、と聞いとるんだよ」
「いや、わたしは泳ぎはできないが」
「そりゃあ先生、先生はいのち全部、棒にふっちまった!船が岩にぶつかって、もう沈没前なんじゃ。泳げるもんは助かるが、泳げんもんは溺れ死ぬ。気の毒だがおしまいじゃ、先生はいのち全部棒にふっちまった!」
この世の中でおよそ「なになに学」と名のつくものを残らず勉強したとしても、泳げなければ一巻の終りです。水泳の本を読んだり書いたり、あるいは水泳についてりっぱな議論ができても実際に水の中に入らなければお話になりません。
泳ぎをおぼえましょう。