こういう非暴力コミュニケーション(NVC)のリトリートでは、嘆きや絶望を多く扱う。深い痛みとつながりながら、それをコミュニティで受け止めて、様々なかたちで癒していく。自分では想像できなかった他の人の苦しみと出会ったり、自分が気づかなかった深い苦しみとつながったり、馴染みがないとあまりピンとこないかもしれないけど、平和な社会を育てるためにはものすごく重要な取り組み。その嘆きの土壌から命のエネルギーに漲っている希望の芽が伸びてくる。
数日前に、コミュニティとしての嘆き題されたセッションがあった。簡単な誘導めいそうのあと、以下の文章を書くことを招かれた
My heart breaks when I see…..
〇〇を見た時、わたしの心を打ちくだかれる
My heart breaks when I hear…..
〇〇を聞いた時、わたしの心を打ちくだかれる
My heart breaks when I remember…..
〇〇を思い出したとき、わたしの心を打ちくだかれる
My heart breaks when I imagine…….
〇〇を想像した時、わたしの心を打ちくだかれる
僕の中には次の文が頭に浮かび始めた
自分の痛みを認めて、いたわる言葉
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自分を守るために
中学生の頃
自然に泣くことを押し殺した
今でも泣くことが自然にできない
悲しみを感じたり、表現することも
一部失ってしまった
自分を守るために
良い子になろうとしたり
優等生を目指して勉強を頑張ったり
時には自分の健康や楽しみを犠牲にして
夜中中眠い心身に
むりやり意味を感じない情報を
必死に詰め込んだ
自分を守るために
不良にもなってみて
自分が感じている社会や家族や自分への不満を
同じような苦しみを抱えている仲間と
自分の体を傷つけるかたちで表現していた
知らぬ間に
純粋で無邪気な存在から
危険が多く待ち構えている社会
競争しないといけない大人の世界
怖い世の中から
自分を守るために
自分の弱さを抑えて、強くして
生き延びようとしていた
強くないといじめられたり
賢くないと騙されたり
地位が高くないと
やりたくないことをやらされたり
そういう世界観がいつの間に身についていた
そんな世の中に耐えられなくなって
高校生時代のある誕生日
夜川に飛び込もうとしたり
大学院に向かう朝
電車の前に体が吸い込まれそうになったり
絶望や深い痛みから生きる意味を失った
でも、なんとか生きることを選び続けた
苦手なことをどんどん克服して
なんでもチャレンジして
自分の社会的な評価をあげてきて
人前で話すことが恐怖だったのに
崖から飛び降りるように
授業で手をあげて発言したり
授業を教えるようになったり
拒絶反応を出す心身を無視して
ステージでトークをするようになったり
いつしか「リーダー」のような役割を
担うようになった
でも、もしかしたら
それは自分を守るために
やってきたことかもしれない
今は、ちょっとずつ
強くない自分を思い出そうとしている
2歳の娘のような
無防備で無邪気な自分
いろいろできない
失敗ばかりする
不器用な自分
自分を守るために
手放してきた自分の大事な部分と
再会したい
そして、自分を守るために
必死にここまで生き抜いた自分や
多くの人々に
安心で安全なよりどころを
育んでいきたい
弱くていい
みんなと違っていい
僕たちの存在そのものがギフトだから
一緒に嘆いて
一緒に祝おう
生きてきてありがとう