6月2日に辻信一さんとトークをしたイベントで「わたしも少し話をさせていただいてもいいですか?」と、やさしそうなおばあさんが声をあげてくれた
彼女の存在と言葉に心が動かされたから
みんなとシェアしたかった
こういう「記憶」が消えていく今の時代
彼女の短いシェアのなかに
大切な「なにか」がある感じがした
辻さんも彼女の話をもっと聞きたいと言っていて
7月2日夜にナマケモノ倶楽部でイベントを企画した
とっても貴重なお話を聞く機会になると思うから
いける人はGO〜
イベントの詳細はここ
《母里啓子さんプロフィール》
(もり・ひろこ)医学博士。1934年東京都生まれ。元・国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長。千葉大学医学部卒業後、 伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修め、 愛知県がんセンター研究所に勤務。 在職中に、カナダのトロント大学オンタリオがん研究所に2年間留学。帰国後、東京都がん検診センター検査課長、 横浜市衛生研究所細菌課長を経て、国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長を務める。その後、横浜市の瀬谷、戸塚、旭の保健所所長、介護老人保健施設「やよい台仁」の施設長を務め退職。著書に『インフルエンザワクチンは打たないで! 』『改訂版 もうワクチンはやめなさい 予防接種を打つ前に知っておきたい33の真実』他多数。
彼女とちょくせつ話す時間はなかったけれど
彼女が書いた本をいただいた
子供が1才半だから
ワクチンのことはけっこう悩まされている
その話はまたこんど
彼女の存在と言葉に心が動かされたから
みんなとシェアしたかった
終戦時、私は10歳で、渋谷の焼け野原の防空壕の上に建てた掘立小屋で、 ウサギとニワトリを飼い、畑を耕し、2年間、 自給自足の生活を送っていました。 その後、(惨めな)仮設住宅に移ったが、この時の方が今よりもずっと幸せだったような気がする。 何もない焼け野原の中にも未来があったから。 それがどんどんどんどん悪くなっていった。だから今、若い人達の(良い未来を創る為の)お手伝いがしたいと思っている。
こういう「記憶」が消えていく今の時代
彼女の短いシェアのなかに
大切な「なにか」がある感じがした
辻さんも彼女の話をもっと聞きたいと言っていて
7月2日夜にナマケモノ倶楽部でイベントを企画した
とっても貴重なお話を聞く機会になると思うから
いける人はGO〜
イベントの詳細はここ
《母里啓子さんプロフィール》
(もり・ひろこ)医学博士。1934年東京都生まれ。元・国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長。千葉大学医学部卒業後、 伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修め、 愛知県がんセンター研究所に勤務。 在職中に、カナダのトロント大学オンタリオがん研究所に2年間留学。帰国後、東京都がん検診センター検査課長、 横浜市衛生研究所細菌課長を経て、国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長を務める。その後、横浜市の瀬谷、戸塚、旭の保健所所長、介護老人保健施設「やよい台仁」の施設長を務め退職。著書に『インフルエンザワクチンは打たないで! 』『改訂版 もうワクチンはやめなさい 予防接種を打つ前に知っておきたい33の真実』他多数。
彼女とちょくせつ話す時間はなかったけれど
彼女が書いた本をいただいた
子供が1才半だから
ワクチンのことはけっこう悩まされている
その話はまたこんど