シューマッハカレッジからの学びのシェア
【前置き】
シューマッハカレッジの学校としての特徴の一つは、少人数で多様な観点から学ぶこと。3つのH
HEAD 頭・頭脳
HEART 心・精神性
HANDS 手・実践
の全部をとりいれたフォーマル*な教育の場
*フォーマルの他に、日々の生活の様なインフォーマルな場(台所、ガーデン、お店、近所との雑談、読書、映画、ブログとか)でも、学びを僕たちは常に経験していると思う。自分の日々の生活を観察しても3つのHで常に学んでいるし、赤ちゃんや子供は「学校」でないインフォーマルな世界で爆発的に成長していく。人間はどんな状況でも学び続けるけど、「学校」の様な意図的な教育の場には特殊な共同体としての学びの役割があると思う(学校教育に20年以上洗脳されているだけかもしれないけど)。
今回のシューマッハカレッジ体験プログラムの中では、3Hとサティシュ・クマールが提唱している3S(Soil, Soul, Society)を体現する、楽しく多様で時には試されるプログラムを創造してみた。
共生革命家として、とくに僕が関心があるのは個人の変容 x 社会変革。
そんな思いもあり、「経済」のセッションを二つ入れた。僕たちの日々の生活の困難から、人類が直面している大きな社会問題(環境破壊、気候変動、戦争、格差)の根源の一つが経済システムだと信じはじめた。とくに、neoliberal economics(新自由主義経済), global economic system(グローバル経済システム), industrial growth society(産業成長型社会)などがキーワードとして良く聞く。
一つ目が、一緒に活動しているヘレナ・ノーバーグホッジの【幸せの経済:グローバリゼーションからローカリゼーション】のレクチャー。
二つ目が、ジョナサン・ドーソンの創造的ペダゴジーのセッション。
なんじゃそりゃ?
今回はジョナサンのセッションをシェアしたい。体感型のワークだから深くは共有できないけど、僕が通訳をしながら書いた走り書きメモより。
僕の解釈と勝手な補足付きなので、あくまでソーヤー海の捉えたジョナサンの話。
【本題:ジョナサン・ドーソンの経済学】
講師:ジョナサン・ドーソン(Jonathan Dawson)氏(英国シューマッハカレッジ経済学部長)
長年、スコットランドのフィンドホーンにあるエコビレッジで活動。前グローバル・エコビレッジ・ネットワーク代表を務める。後、英国デボン州に移り、シューマッハカレッジ経済学部長に就任。エコビレッジ関係者からなる教育機関 Gaia Education において、エコビレッジのベストプラクティスを使った持続可能な経済を学ぶカリキュラムのオンライン教材を執筆。ドーソン氏は同プログラムをブラジル・スペイン・スコットランドの大学・エコビレッジ・地域センターで教えている。研究者・文筆家、アフリカおよび南アジアでのビジネスコンサルタントとして、約20年の経験を持つ。
KAI 補足:ジョナサンは、カリキュラム(教育課程・コンテンツ)
What(なにを?)と、Pedagogy*(教授法・教育学)How(どのように?)の違いを強調していた。情報(教科書、講義の内容)よりも、「学び方」、「在り方」、「知恵とは?」などを変えることの大切さを話していた。
*因に、pedagogy関係でオススメの本がPedagogy of the Oppressed 被抑圧者の教育学 by パウロ・フレーレ。フレーレと活動していた教育学者のアシスタントティーチャーをカリフォルニア大学サンタクルーズで務めてたこともあり、教育活動家・革命家であるフレーレに僕は大きく影響されている。フレーレは、学校で行われている一般教育を「銀行型教育」とよんだ。
ジョナサンの話にもどると
一番下の15人くらいがマーケットを通らない、生態系の役割・産物を象徴している。真ん中にいる10人くらいがマーケットを通らない(給料のない仕事)、ボランティアや親などが行っている仕事を象徴している。
このふたグループが氷山のしたの部分を描いていて、みんな座って氷山の上の方向を見ている。
一番上の5人くらいが資本主義・マーケットを象徴している。彼らは立って、残りの人(生態系や給料のない人の働き)を見下している。去年は、頂点にいる一人の人がお金を象徴していた。
そこから、幾つかの誘導があった。
まずは、頭・思考のボリュームを下げること。そして、体で感じていることに意識を向ける。ここで、静かな時間をとる。
次に、声を出したい人は、頭で考えたことではなく、体から現れている声をだすことを誘われる。ここで、またゆっくり時間をとる。
最後に、体が動きたくなったら、自由に動いていいと指示がでる。
体感的なワークだから、あまりここで説明する意味がないと思うけど、そのような経済システムを体で感じるワークをやった。?の人もいたけど、かなり感情が動いた人もいた。経済学がこういうものだったら、経済を学んでいたかもっていう人も。
Theater of the Oppressed(被抑圧社の演劇)という演劇の分野からインスピレーションをうけているワーク。ジョナサンがブラジルで経済のプログラムをやったときに、学生とともに考えたワークらしい。これが完成型であるわけではなく、みんなも自分で考えてデザインし直して実験してみるといいと言っていた。
感情や体の英知、集合的な英知を引き出す学びの実験
情報ではないけど、心の動きに働きかける
考え深い
いくら不条理や世の中のバッドニュース、事態の緊急性を訴えても、大多数の人は動かない感じがする。人間の習性なのか、情報麻痺しているのか、学校教育で非人間化されたのか。情報や内容が根源的なポイントじゃなさそう。もっと体感や心の動きがないと、人類が抱えている問題を解決する流れができないのではないかと思った。
経済と教育、社会変革について考えさせられた有意義な時間だった
最後に、ジョナサンがワクワクしている新しい経済理論、ドーナツ型経済の話をしようとしたら時間が切れてしまった。あら〜
終りの方に、彼が残した素敵なことば
What if instead of economics that grows regardless of whether it increases well-being
We had economics that grows well-being regardless of economic growth
創造してみて欲しい
(個人や社会の)健全さと関係なく成長する経済より
経済成長と関係なく健全さが成長する経済になる未来を
ジョナサンのこんな記事があったよ
「生態系を踏まえた新たな経済理論をどのように再設計するか」
【前置き】
シューマッハカレッジの学校としての特徴の一つは、少人数で多様な観点から学ぶこと。3つのH
HEAD 頭・頭脳
HEART 心・精神性
HANDS 手・実践
の全部をとりいれたフォーマル*な教育の場
*フォーマルの他に、日々の生活の様なインフォーマルな場(台所、ガーデン、お店、近所との雑談、読書、映画、ブログとか)でも、学びを僕たちは常に経験していると思う。自分の日々の生活を観察しても3つのHで常に学んでいるし、赤ちゃんや子供は「学校」でないインフォーマルな世界で爆発的に成長していく。人間はどんな状況でも学び続けるけど、「学校」の様な意図的な教育の場には特殊な共同体としての学びの役割があると思う(学校教育に20年以上洗脳されているだけかもしれないけど)。
今回のシューマッハカレッジ体験プログラムの中では、3Hとサティシュ・クマールが提唱している3S(Soil, Soul, Society)を体現する、楽しく多様で時には試されるプログラムを創造してみた。
共生革命家として、とくに僕が関心があるのは個人の変容 x 社会変革。
そんな思いもあり、「経済」のセッションを二つ入れた。僕たちの日々の生活の困難から、人類が直面している大きな社会問題(環境破壊、気候変動、戦争、格差)の根源の一つが経済システムだと信じはじめた。とくに、neoliberal economics(新自由主義経済), global economic system(グローバル経済システム), industrial growth society(産業成長型社会)などがキーワードとして良く聞く。
一つ目が、一緒に活動しているヘレナ・ノーバーグホッジの【幸せの経済:グローバリゼーションからローカリゼーション】のレクチャー。
二つ目が、ジョナサン・ドーソンの創造的ペダゴジーのセッション。
なんじゃそりゃ?
今回はジョナサンのセッションをシェアしたい。体感型のワークだから深くは共有できないけど、僕が通訳をしながら書いた走り書きメモより。
僕の解釈と勝手な補足付きなので、あくまでソーヤー海の捉えたジョナサンの話。
【本題:ジョナサン・ドーソンの経済学】
講師:ジョナサン・ドーソン(Jonathan Dawson)氏(英国シューマッハカレッジ経済学部長)
長年、スコットランドのフィンドホーンにあるエコビレッジで活動。前グローバル・エコビレッジ・ネットワーク代表を務める。後、英国デボン州に移り、シューマッハカレッジ経済学部長に就任。エコビレッジ関係者からなる教育機関 Gaia Education において、エコビレッジのベストプラクティスを使った持続可能な経済を学ぶカリキュラムのオンライン教材を執筆。ドーソン氏は同プログラムをブラジル・スペイン・スコットランドの大学・エコビレッジ・地域センターで教えている。研究者・文筆家、アフリカおよび南アジアでのビジネスコンサルタントとして、約20年の経験を持つ。
僕が教える経済は、「経済学」というよりもcreative imagination(想像力)なんだ。
今、イギリスやアメリカで経済学部の学生が素敵な反乱を起こしている。現在の壊れた経済の根底にある経済思想(新自由主義経済など)を教える教科書や講義を変えろと訴えている。ハーバードでもそのような動きがある。僕も「教科書(経済思想)さえ変えられれば」と昔は思っていた。でも、教科書や講義の内容を交換するだけじゃだめだと思いはじめた。
今は、pedagogy(教育学、教授法)に焦点をあてている。そこに、一番大きな変化の可能性があると信じている。
KAI 補足:ジョナサンは、カリキュラム(教育課程・コンテンツ)
What(なにを?)と、Pedagogy*(教授法・教育学)How(どのように?)の違いを強調していた。情報(教科書、講義の内容)よりも、「学び方」、「在り方」、「知恵とは?」などを変えることの大切さを話していた。
*因に、pedagogy関係でオススメの本がPedagogy of the Oppressed 被抑圧者の教育学 by パウロ・フレーレ。フレーレと活動していた教育学者のアシスタントティーチャーをカリフォルニア大学サンタクルーズで務めてたこともあり、教育活動家・革命家であるフレーレに僕は大きく影響されている。フレーレは、学校で行われている一般教育を「銀行型教育」とよんだ。
「銀行型教育」とは、教師は空の銀行口座のような生徒に、まるで預金を繰り返していくように知識の伝達を行う教育形態を例えている。フレイレは、この銀行型教育に否定的であった。なぜならば、この教育を通じて、生徒も教師も共に「非人間化」されてしまう上に、社会における抑圧的な態度や行動が助長されてしまうからである。 wikipediaより
ジョナサンの話にもどると
今の経済の前提を見てみよう
1。経済成長は必要なことだ。マーケットを通るものはすべて(人類にとって)良いものだ。
ここで、みんなに問いかけたい。マーケットを通る商品やサービスで(人類にとって)良くないものは思いつくかね?KAI補足:Wall Street Journalのブログでこの現象について書いてある。BP社の原油流出事故「2010年メキシコ湾原油流出事故」で環境が大規模に汚染され、生態系が崩れ、多くの動物が死んだ。影響された地域の漁業関係者や観光業の人なども仕事を失ってしまった。しかし、それをそうじするために動くお金と雇用される人を考えると、GDPが上がる。
例えば、石油汚染。大事故で石油がこぼれると、それをきれいにするための経済活動が起きるんだ。お金が多く動いて、GDPが上がる。戦争も。戦争で破壊された国を再建するために、お金が動く。GDPが上がる。福島原発事故も。
2。マーケットを通らないものは価値のないもの
ここでまたみんなに問いたい。マーケットを通らないもので、価値のあるものはあるかね?
例えば、親がこどもを育てることとか。母乳を子供にあげたり。ボランティア活動。被災地で支援をする人とか。森が水を浄化する作用とか。川とか。
じゃ、こんどは一般教育の前提を見ていこう
ここからやりたいのがRETHINKING ECONOMICS(経済学を捉え直そう!)
- 知識とは、受動的な学生の頭にダウンロードするものである
- 学びとは、個人が他の人と競争しながら個人的な成長を目指す取り組み。例えば、テストを受ける時に協力しあうことを、cheating(カンニング)とよぶ。
- intellect (知性・頭で学ぶこと)がゆういつの学びかた
- 教育は頭の中で起きるもの。体は、脳を運ぶ道具にすぎない
経済学者で、研究費のほとんどをシアター(演劇)に当てているのは僕だけだろう。僕はシアターが大好きなんだ。KAI補足:ここから、みんなで氷山を30人で作ってみた。30人で三角形を描く感じ。
一番下の15人くらいがマーケットを通らない、生態系の役割・産物を象徴している。真ん中にいる10人くらいがマーケットを通らない(給料のない仕事)、ボランティアや親などが行っている仕事を象徴している。
このふたグループが氷山のしたの部分を描いていて、みんな座って氷山の上の方向を見ている。
一番上の5人くらいが資本主義・マーケットを象徴している。彼らは立って、残りの人(生態系や給料のない人の働き)を見下している。去年は、頂点にいる一人の人がお金を象徴していた。
そこから、幾つかの誘導があった。
まずは、頭・思考のボリュームを下げること。そして、体で感じていることに意識を向ける。ここで、静かな時間をとる。
次に、声を出したい人は、頭で考えたことではなく、体から現れている声をだすことを誘われる。ここで、またゆっくり時間をとる。
最後に、体が動きたくなったら、自由に動いていいと指示がでる。
体感的なワークだから、あまりここで説明する意味がないと思うけど、そのような経済システムを体で感じるワークをやった。?の人もいたけど、かなり感情が動いた人もいた。経済学がこういうものだったら、経済を学んでいたかもっていう人も。
Theater of the Oppressed(被抑圧社の演劇)という演劇の分野からインスピレーションをうけているワーク。ジョナサンがブラジルで経済のプログラムをやったときに、学生とともに考えたワークらしい。これが完成型であるわけではなく、みんなも自分で考えてデザインし直して実験してみるといいと言っていた。
感情や体の英知、集合的な英知を引き出す学びの実験
情報ではないけど、心の動きに働きかける
考え深い
いくら不条理や世の中のバッドニュース、事態の緊急性を訴えても、大多数の人は動かない感じがする。人間の習性なのか、情報麻痺しているのか、学校教育で非人間化されたのか。情報や内容が根源的なポイントじゃなさそう。もっと体感や心の動きがないと、人類が抱えている問題を解決する流れができないのではないかと思った。
経済と教育、社会変革について考えさせられた有意義な時間だった
最後に、ジョナサンがワクワクしている新しい経済理論、ドーナツ型経済の話をしようとしたら時間が切れてしまった。あら〜
終りの方に、彼が残した素敵なことば
What if instead of economics that grows regardless of whether it increases well-being
We had economics that grows well-being regardless of economic growth
創造してみて欲しい
(個人や社会の)健全さと関係なく成長する経済より
経済成長と関係なく健全さが成長する経済になる未来を
ジョナサンのこんな記事があったよ
「生態系を踏まえた新たな経済理論をどのように再設計するか」