あなたは、高江(オキナワ)でなにが起こっているか知っているか?
僕もあまりフォローができてなかったんだけど、仲間のマッキーが高江の現状について教えてくれた。心が痛む状況。高江のヘリパッド強行工事。米国が世界中でパペット政権(傀儡政権)の力を利用して起こしている悲劇。アメリカンインディアン、中南米、東南アジア、中東などで繰り広げられている国家権力と軍需産業の暴走。多くの人々が今もなお殺されたり(最近はイラクとパキスタン)、拘束されたり、拷問されたり、レイプされたり、家を失ったり、希望を失ったりしている。それが日本でも起こっている。知っているよね?慣行ニュースでも短期間報道されている。
自覚している人は少ないけど、日本は植民地だよ。比較的自由で民主主義的要素が多い植民地。日本の軍人が暴走した大日本帝国から敗戦後 JAMERICAとなって、今もなお続いている。
戦争は終わってない。戦争は終わったことがない。これは忘れてほしくない。戦争はずっと続いている。そして、僕たちの経済と産業は米軍と米軍需産業に依存している。あまり知りたくない僕たちのリアリティー。楽しくないし、分かり難いし、面倒くさい、知りたくないし、関わりたくもない。これは自然な反応だと思う。
でも現場では、【関わらなくても生きていられる僕たち】が見捨てている人がいる。 かわいそうと思いながら、しょうがないって流してしまっている。そんな現状を維持して、次の世代に残している。犠牲者が出る前提の経済、政治、社会。その歪みはほうって置くとおくほど、病原菌のように急激に繁殖していく。戦争反対、平和な社会を求めているのなら、それを実現しようよ!見てみぬ振りをすればするほど、人の苦しみにたいしての無関心さが強化されていく。ナチが暴走できたのも、一般市民の無関心さが大きな原因だと言われている。暗黙の容認。不条理に声を上げられない社会は、権力と暴力の暴走を育ててしまう。
高江の強行工事や憲法改正は、ハートを目覚めさせる地球からの招待状。僕は、大学生の時、9.11とその後に展開された米国の中東侵略(テロに対する永遠の戦争)がウェークアップ・コール(目覚めのきっかけ)だった。本音をいうと、現実を知ってから苦しみが増した。でも、嘘は生きたくない。嘘を生きると魂が腐る。知らぬが仏ではなく、苦しみと向き合って愛を生きるが仏。そして、武器を持った抑圧に命がけで、向き合う人の姿に心を動かされている。不可能に挑む勇者達。彼は世界中にいる。どの時代にも、どんな過酷な状況でも現れる、勇敢な一般市民。
僕は、【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか?】を読んでから、沖縄や米軍基地が日常的に気になり始めた。日本のコロニアリズム(植民地主義)、政治と法的な歪み、構造的差別、そして戦争の最前線であるオキナワについて、より深く考えるようになった。オキナワは、「本土」に見捨てられている有権者(米軍)の植民地。
じゃ、どうすればいいのか?
まずは自分で考えはじめることだと思う。そして、ハートを開き始めること。ハートが閉じたままだと、 ヘッドが何もしないことを正当化してしまう。そして、大事なのは動くこと。
Head Heart Hands
なにより一番のオススメは、現場に行くこと。
とりあえず行く。そしたら、現実味が出るから。自分の目で確かめて、体で体感する。ここには本物の人間が必死に複雑な状況と向き合っている。命がけの人もいる。現場に行けば、人事じゃなくなるはず。そしてきっと心も動く。
そして、自分の役割を創造する!平和はみんなで育てるもの。一人一人大事な役割があると僕は信じている。そこに、フルコミットしてほしい。 より平和で愛のある世界を育てる仲間になってほしい。僕たちはあなたを必要としている。地球があなたを必要としている。一緒に愛の冒険をしよう!
めっちゃ、長くなったけど(3日間かけて書いた)最後に、
以下は参考になる映像と記事。
沖縄・高江で起きていること20160806houdoutokusyu 投稿者 gomizeromirai
【BLOGOS】反対運動は“プロ市民”のものではない。高江は“おじい”“おばあ”の戦場だった。 - 木野龍逸
9月上旬、小雨が降る蒸し暑い朝。沖縄県北部に広がるヤンバルの森に囲まれた東村高江に、50人以上の人たちがバスでやってきた。ほぼ全員が60歳以上。沖縄県うるま市から2時間近くかけてやってきた、沖縄のおばあ、おじいたちだった。
おばあたちは到着すると、県道70号線に面す北部訓練場の正面ゲート前で、横一列になって警備を固める機動隊に対峙し、それぞれが目の前の機動隊員に向かって話しかけはじめた。
「あんたさぁ、私たちがなんでここにきてるのか、わかる? 沖縄を返してほしいから来てるのよ」
「アンタたちもさぁ、考えてほしいのよ」
怒るのではない。諭すように、でも少しお説教のように、時には少しにこやかに、孫のような年齢の機動隊員へ自分の思いを伝えている。機動隊員の表情は硬く こわばったまま変わらないが、団体の代表者は語りかけている目的を、「機動隊の人たちも沖縄の人。話しかけることで少しでも思いが伝われば」と説明した。
しばらくすると、こんどはおばあたちの合唱が始まった。そのときはわからなかったが、後で調べてみると、こんな歌だった。
そんなおじい、おばあの思いを乗せた歌を踏みつぶすように、午前10時半頃になると数十台の10トンダンプや20トンのトレーラーが警察車両に守られて、
ゲート内に入っていった。反対派からは「大名行列」と呼ばれている車列は、その名に恥じない権力の影と、圧倒的な力を見せつけていた。
「大名行列」が一段落した頃から、小雨だった雨はバスタブをひっくり返したような土砂降りの雨に変わっていった。それでもしばらくの間、おじい、おばあたちは、ゲートに向かって声を上げ続けていた。
続きはBLOGOSへ
*以下は同じ記事の後の方で記せられていた部分
そして佐藤教授は、沖縄ならではの経験が、今の抗議活動に影響しているのではと話す。
「1960年に、沖縄では首席公選運動が始まりました。それから8年の運動を経て米軍が要求をのまざるをえなくなり、68年に選挙が実施されて屋良朝苗 (ちょうびょう)琉球首席を選んだ。米軍の占領下、言論の自由も主権もなにもない中で、完全公選を実現したんです。住民運動で知事の公選を実現したのは、 日本では沖縄だけです」
「復帰後は、国頭村や恩納村では非暴力運動で海兵隊の拡大や、ハリヤーパッドの建設を止めています。基地の拡大を身体をはって止めてきた。今の高江や辺野古に集まる人たちには、そんな歴史に根ざした記憶がつながっているんだと思います」
同時に、そうした記憶が若者に共有できていない現状では、運動は先細りになってしまう」という危機感を感じているという。
情報の重要性を感じた佐藤教授は、米軍基地問題に関心を持つ大学教授やジャーナリストらと「沖縄米軍基地問題検証プロジェクト」を立ち上げ、昨年、「そ れってどうなの? 沖縄の基地の話。」という冊子を発行。様々な噂話の検証を行った。現在は1冊100円で配布しているほか、インターネットでも全文を公 開している。
沖縄米軍基地問題検証プロジェクト
「それってどうなの? 沖縄の基地の話。」
僕もあまりフォローができてなかったんだけど、仲間のマッキーが高江の現状について教えてくれた。心が痛む状況。高江のヘリパッド強行工事。米国が世界中でパペット政権(傀儡政権)の力を利用して起こしている悲劇。アメリカンインディアン、中南米、東南アジア、中東などで繰り広げられている国家権力と軍需産業の暴走。多くの人々が今もなお殺されたり(最近はイラクとパキスタン)、拘束されたり、拷問されたり、レイプされたり、家を失ったり、希望を失ったりしている。それが日本でも起こっている。知っているよね?慣行ニュースでも短期間報道されている。
自覚している人は少ないけど、日本は植民地だよ。比較的自由で民主主義的要素が多い植民地。日本の軍人が暴走した大日本帝国から敗戦後 JAMERICAとなって、今もなお続いている。
戦争は終わってない。戦争は終わったことがない。これは忘れてほしくない。戦争はずっと続いている。そして、僕たちの経済と産業は米軍と米軍需産業に依存している。あまり知りたくない僕たちのリアリティー。楽しくないし、分かり難いし、面倒くさい、知りたくないし、関わりたくもない。これは自然な反応だと思う。
でも現場では、【関わらなくても生きていられる僕たち】が見捨てている人がいる。 かわいそうと思いながら、しょうがないって流してしまっている。そんな現状を維持して、次の世代に残している。犠牲者が出る前提の経済、政治、社会。その歪みはほうって置くとおくほど、病原菌のように急激に繁殖していく。戦争反対、平和な社会を求めているのなら、それを実現しようよ!見てみぬ振りをすればするほど、人の苦しみにたいしての無関心さが強化されていく。ナチが暴走できたのも、一般市民の無関心さが大きな原因だと言われている。暗黙の容認。不条理に声を上げられない社会は、権力と暴力の暴走を育ててしまう。
高江の強行工事や憲法改正は、ハートを目覚めさせる地球からの招待状。僕は、大学生の時、9.11とその後に展開された米国の中東侵略(テロに対する永遠の戦争)がウェークアップ・コール(目覚めのきっかけ)だった。本音をいうと、現実を知ってから苦しみが増した。でも、嘘は生きたくない。嘘を生きると魂が腐る。知らぬが仏ではなく、苦しみと向き合って愛を生きるが仏。そして、武器を持った抑圧に命がけで、向き合う人の姿に心を動かされている。不可能に挑む勇者達。彼は世界中にいる。どの時代にも、どんな過酷な状況でも現れる、勇敢な一般市民。
僕は、【日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか?】を読んでから、沖縄や米軍基地が日常的に気になり始めた。日本のコロニアリズム(植民地主義)、政治と法的な歪み、構造的差別、そして戦争の最前線であるオキナワについて、より深く考えるようになった。オキナワは、「本土」に見捨てられている有権者(米軍)の植民地。
じゃ、どうすればいいのか?
まずは自分で考えはじめることだと思う。そして、ハートを開き始めること。ハートが閉じたままだと、 ヘッドが何もしないことを正当化してしまう。そして、大事なのは動くこと。
Head Heart Hands
なにより一番のオススメは、現場に行くこと。
とりあえず行く。そしたら、現実味が出るから。自分の目で確かめて、体で体感する。ここには本物の人間が必死に複雑な状況と向き合っている。命がけの人もいる。現場に行けば、人事じゃなくなるはず。そしてきっと心も動く。
そして、自分の役割を創造する!平和はみんなで育てるもの。一人一人大事な役割があると僕は信じている。そこに、フルコミットしてほしい。 より平和で愛のある世界を育てる仲間になってほしい。僕たちはあなたを必要としている。地球があなたを必要としている。一緒に愛の冒険をしよう!
めっちゃ、長くなったけど(3日間かけて書いた)最後に、
以下は参考になる映像と記事。
Check it out!
【オキナワと米軍基地の基本的な情報(youtube)】
沖縄・高江で起きていること20160806houdoutokusyu 投稿者 gomizeromirai
【BLOGOS】反対運動は“プロ市民”のものではない。高江は“おじい”“おばあ”の戦場だった。 - 木野龍逸
9月上旬、小雨が降る蒸し暑い朝。沖縄県北部に広がるヤンバルの森に囲まれた東村高江に、50人以上の人たちがバスでやってきた。ほぼ全員が60歳以上。沖縄県うるま市から2時間近くかけてやってきた、沖縄のおばあ、おじいたちだった。
おばあたちは到着すると、県道70号線に面す北部訓練場の正面ゲート前で、横一列になって警備を固める機動隊に対峙し、それぞれが目の前の機動隊員に向かって話しかけはじめた。
「あんたさぁ、私たちがなんでここにきてるのか、わかる? 沖縄を返してほしいから来てるのよ」
「アンタたちもさぁ、考えてほしいのよ」
怒るのではない。諭すように、でも少しお説教のように、時には少しにこやかに、孫のような年齢の機動隊員へ自分の思いを伝えている。機動隊員の表情は硬く こわばったまま変わらないが、団体の代表者は語りかけている目的を、「機動隊の人たちも沖縄の人。話しかけることで少しでも思いが伝われば」と説明した。
固き土をやぶりて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よタイトルは歌詞の通りで、「沖縄を返せ」という。1950年代に本土で歌い始められ、その後の沖縄返還運動の象徴のようになっていったらしい。返還後も、米軍関連の事件が起こるたびに注目を集め、今また、高江で抗議するおばあたちに歌われているのである。
我らと我らの祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ
我らは叫ぶ 沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ
作詞・全司法福岡高裁支部、作曲・荒木栄
「大名行列」が一段落した頃から、小雨だった雨はバスタブをひっくり返したような土砂降りの雨に変わっていった。それでもしばらくの間、おじい、おばあたちは、ゲートに向かって声を上げ続けていた。
続きはBLOGOSへ
*以下は同じ記事の後の方で記せられていた部分
そして佐藤教授は、沖縄ならではの経験が、今の抗議活動に影響しているのではと話す。
「1960年に、沖縄では首席公選運動が始まりました。それから8年の運動を経て米軍が要求をのまざるをえなくなり、68年に選挙が実施されて屋良朝苗 (ちょうびょう)琉球首席を選んだ。米軍の占領下、言論の自由も主権もなにもない中で、完全公選を実現したんです。住民運動で知事の公選を実現したのは、 日本では沖縄だけです」
「復帰後は、国頭村や恩納村では非暴力運動で海兵隊の拡大や、ハリヤーパッドの建設を止めています。基地の拡大を身体をはって止めてきた。今の高江や辺野古に集まる人たちには、そんな歴史に根ざした記憶がつながっているんだと思います」
同時に、そうした記憶が若者に共有できていない現状では、運動は先細りになってしまう」という危機感を感じているという。
情報の重要性を感じた佐藤教授は、米軍基地問題に関心を持つ大学教授やジャーナリストらと「沖縄米軍基地問題検証プロジェクト」を立ち上げ、昨年、「そ れってどうなの? 沖縄の基地の話。」という冊子を発行。様々な噂話の検証を行った。現在は1冊100円で配布しているほか、インターネットでも全文を公 開している。
沖縄米軍基地問題検証プロジェクト
「それってどうなの? 沖縄の基地の話。」