僕の友人であり先生でもある
サティシュ・クマールが贈る
ビノーバ・バーベのストーリー
心の栄養になる本当にあったお話を
ぜひみんなに読んで欲しい
ビノーバの話を読むと魂が踊りだす
彼に愛の世界へ招待されている
気持でいっぱいになる
共感の革命をガンジーと共に起こした
日本では知られざる本物のレジェンド
彼は僕の意識のよりどころ
希望を育てたい人
平和を生きたい人
愛の道を歩みたい人
MOVED BY LOVE
「愛に動かされる」を生きた
愛に満ちた巡礼者と出会って欲しい
きっと、
あなたのハートも踊り出すはず
本全体を引用したいくらい素敵な言葉の
オンパレードなんだけど
まずは、ギフトの話をシェアしたい
ダーナ(贈与)の経済学
では、こうしたビノーバのメッセージの今日的な意味は何かを考えてみましょう。
第一に私が挙げたいのは、経済の基本はダーナ*、つまりギフトであるということ、です。自然を見ればすぐに分かります。自然界の経済はすべてギフトによって成り立ち、維持されているからです。太陽の光、雨、土。。。、これらはみんな純粋な贈与です。太陽と雨と土からのギフトは草や木です。草木からのギフトは、果実や穀物です。
すべてギフトによって成り立っている自然界の経済には、商品というものが存在しません。なぜなら、売ることも買うこともないからです。ただただ、与える、与える、与える。これが自然界の経済です。
人間界における真に人間的な経済とはどんなものでしょう。人間はみな自然界から生まれ、そこで養われる"自然の子どもたち”なのだから本来の人間の経済もまた、自然界の経済と同じであるべきでしょう。母と子の関係をみれば分かります。母親はこどもにただただお乳を与えます。人が死ぬときもそうです。死ぬ人はただたすべてを手放し、あとに残る人々に与える。
これは今でもなくなっていません。今でも、自然界の経済は営々と続いており、そして本来の人間界の経済も動いているんです。そして少し歴史をさかのぼってみれば、貨幣というものが発明され、普及する前は、何万年、何十万年にわたって人間の経済はすべて贈与経済だったのです。売ったり、買ったり、商品化したりという現象は、つい最近、ほんのこの数百年の間の発明にしかすぎません。
自分が与える存在であればこそ、何かギフトを受け取ったときにはそれが喜びに成り得るわけです。ギフトを与えることとギフトを受け取ることは、別々には存在できません。だからこそ、ギフトはギフトを生み出すという好循環が生まれます。与えることと受け取ることは一つです。だからそこにはもっと、もっと、と限りなく求める欲求や、そこから生じる悩みや苦しみがありません。それが自然の経済というものです。大地に点からの雨というギフトが注がれると、今度はその土が木を育て、その木は自分の実をどんどんとつけるという形で、贈与の好循環が展開します。
これとは対照的に、お金というものは贈与にではなく、「負債」に基づいています。現代は、銀行から個人や組織や政府がお金を借りて、暮らしやビジネスや政治を成り立たせるということが経済の基本になっていますが、そこには自由はありません。人々はみな負債という重荷によって縛られるのですから。
現代人へのビノーバのメッセージは、お金とは単なる手段以上のものであってはいけない、ということです。お金を、まるでそれが目的であるかのように見なしたり、扱ったりしてはいけない。しかし現代世界は正にそうなってしまっている。まるでお金が主人で、人々がそれに仕える奴隷のようになってしまっている。お金が人をコントロールしたり、人の価値を決めたり、争いを引き起こしたり。。。
こうしたお金と負債を基本にした経済の対極に、ビノーバはダーナという言葉を置いた。そしてこれを来るべき世界の合言葉として提案したのです。これまでは寄付とか寄贈 というえば、宗教や慈善事業などのことだと思われていた。でもこれからは、「人生におけるすべての行為がダーナだ、人生とはダーナなのだ」、と考えよう、と。
*「ダーナ」について上の引用の前ページにこう書かれている
サティシュ・クマールが贈る
ビノーバ・バーベのストーリー
心の栄養になる本当にあったお話を
ぜひみんなに読んで欲しい
「私たちに本当に必要なのは
マルクス主義革命でも
社会主義革命でも
資本主義革命でもなんでもない
必要なのは、ただただ共感であり
共感の革命なのだ」 - ビノーバ
ビノーバの話を読むと魂が踊りだす
彼に愛の世界へ招待されている
気持でいっぱいになる
共感の革命をガンジーと共に起こした
日本では知られざる本物のレジェンド
彼は僕の意識のよりどころ
希望を育てたい人
平和を生きたい人
愛の道を歩みたい人
MOVED BY LOVE
「愛に動かされる」を生きた
愛に満ちた巡礼者と出会って欲しい
きっと、
あなたのハートも踊り出すはず
手に入れたい人はゆっくりウェブで
本全体を引用したいくらい素敵な言葉の
オンパレードなんだけど
まずは、ギフトの話をシェアしたい
ダーナ(贈与)の経済学
では、こうしたビノーバのメッセージの今日的な意味は何かを考えてみましょう。
第一に私が挙げたいのは、経済の基本はダーナ*、つまりギフトであるということ、です。自然を見ればすぐに分かります。自然界の経済はすべてギフトによって成り立ち、維持されているからです。太陽の光、雨、土。。。、これらはみんな純粋な贈与です。太陽と雨と土からのギフトは草や木です。草木からのギフトは、果実や穀物です。
すべてギフトによって成り立っている自然界の経済には、商品というものが存在しません。なぜなら、売ることも買うこともないからです。ただただ、与える、与える、与える。これが自然界の経済です。
人間界における真に人間的な経済とはどんなものでしょう。人間はみな自然界から生まれ、そこで養われる"自然の子どもたち”なのだから本来の人間の経済もまた、自然界の経済と同じであるべきでしょう。母と子の関係をみれば分かります。母親はこどもにただただお乳を与えます。人が死ぬときもそうです。死ぬ人はただたすべてを手放し、あとに残る人々に与える。
これは今でもなくなっていません。今でも、自然界の経済は営々と続いており、そして本来の人間界の経済も動いているんです。そして少し歴史をさかのぼってみれば、貨幣というものが発明され、普及する前は、何万年、何十万年にわたって人間の経済はすべて贈与経済だったのです。売ったり、買ったり、商品化したりという現象は、つい最近、ほんのこの数百年の間の発明にしかすぎません。
自分が与える存在であればこそ、何かギフトを受け取ったときにはそれが喜びに成り得るわけです。ギフトを与えることとギフトを受け取ることは、別々には存在できません。だからこそ、ギフトはギフトを生み出すという好循環が生まれます。与えることと受け取ることは一つです。だからそこにはもっと、もっと、と限りなく求める欲求や、そこから生じる悩みや苦しみがありません。それが自然の経済というものです。大地に点からの雨というギフトが注がれると、今度はその土が木を育て、その木は自分の実をどんどんとつけるという形で、贈与の好循環が展開します。
これとは対照的に、お金というものは贈与にではなく、「負債」に基づいています。現代は、銀行から個人や組織や政府がお金を借りて、暮らしやビジネスや政治を成り立たせるということが経済の基本になっていますが、そこには自由はありません。人々はみな負債という重荷によって縛られるのですから。
現代人へのビノーバのメッセージは、お金とは単なる手段以上のものであってはいけない、ということです。お金を、まるでそれが目的であるかのように見なしたり、扱ったりしてはいけない。しかし現代世界は正にそうなってしまっている。まるでお金が主人で、人々がそれに仕える奴隷のようになってしまっている。お金が人をコントロールしたり、人の価値を決めたり、争いを引き起こしたり。。。
こうしたお金と負債を基本にした経済の対極に、ビノーバはダーナという言葉を置いた。そしてこれを来るべき世界の合言葉として提案したのです。これまでは寄付とか寄贈 というえば、宗教や慈善事業などのことだと思われていた。でもこれからは、「人生におけるすべての行為がダーナだ、人生とはダーナなのだ」、と考えよう、と。
*「ダーナ」について上の引用の前ページにこう書かれている
ただ条件を付けないで、見返りを全く期待しないで差し出すものなら、何であっても、それはダーナ。誰もが与え合うというこののシェアリングによって、本当の意味での社会の豊かさが生まれるのです。
【引用】
ビノーバ
サティシュ
辻さん
上野さん
素敵な本を
ありがとう