いい先生と出会う
僕は素晴らしい先生に恵まれた人生をおくってきた。不思議なくらい、パワフルな人とよく出会う。まず、そのことに感謝を告げたい。ありがとう。そんな認識もあって、これまで頂いた恵み(学び)を多くのひとに分かち合いたいと思い、ブログやワークショップ、本や記事作りなどをやってきた。これらは全部、僕の感謝の表現。ギフトの恩送り。
今週、サティシュ・クマールと一週間過ごして改めてそう感じた。生き方の師匠と数多く出会ってきて、視野がどんどん広がり、意識が年々深まっている感覚がある(思い込みかもしれないけど)。絶望と悲劇をより心地よく受けとめられるようになったし、思いやりと希望を育てることも意識的にできる様になってきた。最高の学び!
サティシュとは大学生の時(2005年頃)に出会った。変わったインド人って感じでしか思ってなかったけど、彼が蒔いた種は確実に僕の中で発芽して今にいたる。彼の人生経験(お金を持たない二年半の巡礼の冒険とか)や美しく深い言葉も凄いけど、なにより彼の「隣のやさしいおじさん」的な存在に惹かれる。とても親しみやすく、友達と呼べる気楽な存在。でも、敬愛している大切な先生の一人。彼はいつもニコニコしながら「地球ってなんて最高なんだ!地球を大事にしながら楽しく生きようよ!」って言っているような気がする。でも、エネルギーのやりとりだから、文字では伝えきれないけど。会えば分かるはず。因に、11月に来日して、善良寺と京都のどこかで講演会があるみたい(すぐ満席にかも)。
いままで、もっとも深い学びのきっかけをくれたのは、禅僧のティクナットハン。出会った人の中では格別に次元の違う存在。彼の教え・言葉・在り方のおかげで、より本質的な「現実」の中で生きる時間が増えて、幻想の中で生きている時間が減った。幸福をいつでも感じられる方法もしっかり受け取ったし、恐れや苦しみの変容も身に付いてきた。彼はいつも一番大事な学びを子供でも分かるかたちで教えてくれる。最高の先生で、出会えたことに何より感謝したい。しかも、20代に出会うことができたから、何度も会う機会を頂けた(でも、よく彼のお話の途中でぼーっとしたり、他のことを考えたりしてたことも多々!)。彼はサティシュのように友達になれる感じではなく、ちょっと畏れ多い感じになってしまう。とても優しく思いやりがにじみ出る存在なんだけど、禅に一生を捧げた人だけに、一目で見抜かれていた感じがした。中途半端な実践者ですんません(中途半端な土下座)!
本当は、一年弟子入り(仮出家?)しようと思ったくらいだったんだけど、もの凄く残念ながら出遅れてしまい、彼はその翌年、脳出血で倒れてしまった。一年も彼と共に過ごしたらどれだけ人生が変わったか。
非暴力コミュニケーション(NVC)の創始者マーシャル・ローゼンバーグも数年前に亡くなってしまった。彼も、僕の大学で講義をしてくれた人の一人なんだけど、その時のことをなにも覚えてないし、再会することもなかった。まだ、受け皿が僕にはなかったんだと思う。でも、今はマインドフルネスやパーマカルチャーの様に、NVCが僕の生き方の根っこになっていて、彼の蒔いた種が発芽したのかもしれない。実は、今からNVCのリーダーシッププログラム合宿に向っているところ。
ここで、みんなに伝えたいのは、いい先生と出会ったら、学べるだけその人から学ぶこと。移住するくらいの勢いで。かけがえのない時間になるはず。僕は、ティクナットハンの禅寺で二ヶ月住んだことがある(今思うと短かったな〜)。パーマカルチャーと生き方の先生、ブロックス三兄弟や第二の母ゆりこさんとは14ヶ月共に暮らした。いい先生と出会ったら、できるだけその人と時間を過ごすことを強くおススメしたい。いつそういう人から学べなくなるかは分からないから。
僕が興味をもって学んだできたことは、だいたいいい先生によって誘導されてきた。心理学、有機農業とアグロエコロジー、サステナビリティー、非暴力コミュニケーション、パーマカルチャー、マインドフルネス(禅)。その「いい先生」はみな実践者。理論や言葉だけではなく、その世界観を在り方で体現してくれた。
僕は在り方に惹かれる
いいことを言う人は沢山いるけど、my life is my messageを生きている人、在り方で人の心を動かしてしまう人は少ない。
ティクナットハンの佇まいに衝撃を受けたのを覚えている。彼が一歩一歩、到着しながら歩いて、ゆっくり腰を下ろして、皆の前でいまここにしっかり在り続けながらお茶を飲んでいることに感動したことがある。「僕が平和活動家として探していたものはこれだった」って。僕にとってのいい先生は、僕の心を動かす人。存在から教えてもらえる人。
みんなもそういう人と出会ったことある?
おおくの無名の先生方にも自分の成長を支えてきてもらった。小中高の先生、バッタリあった他人、旅人、旅先で出会った人(中米の貧しい農家とか)、赤ちゃん、植物、動物、菌類、山、川、石、風、木、森、太陽。。。とくに自然は僕にとっては欠かせない大先生。
レッドウッド(赤杉)、ジャイアントセコイヤ、木の子、海(自分の名前だけに)はとくに僕の先生として敬愛している。彼らとは時間が過ごせるチャンスがあれば、静かに一緒にいる時間をとる様にしている。誰よりも長く存在してきた先生たち。
そして、親もぼくにとっては貴重な先生。
彼らの一部である僕は
数えきれないことを学ばせてもらった。
彼らが育ててきた土壌に
おおくの美しい芽が発芽して
実っている。
ありがとう
導く存在たちに感謝
僕は素晴らしい先生に恵まれた人生をおくってきた。不思議なくらい、パワフルな人とよく出会う。まず、そのことに感謝を告げたい。ありがとう。そんな認識もあって、これまで頂いた恵み(学び)を多くのひとに分かち合いたいと思い、ブログやワークショップ、本や記事作りなどをやってきた。これらは全部、僕の感謝の表現。ギフトの恩送り。
*Picture by nonco(ツアーの参加者で一緒に本を作っている仲間)
サティシュと芝生の上で問答
僕は通訳として隣に座っている
今週、サティシュ・クマールと一週間過ごして改めてそう感じた。生き方の師匠と数多く出会ってきて、視野がどんどん広がり、意識が年々深まっている感覚がある(思い込みかもしれないけど)。絶望と悲劇をより心地よく受けとめられるようになったし、思いやりと希望を育てることも意識的にできる様になってきた。最高の学び!
サティシュとは大学生の時(2005年頃)に出会った。変わったインド人って感じでしか思ってなかったけど、彼が蒔いた種は確実に僕の中で発芽して今にいたる。彼の人生経験(お金を持たない二年半の巡礼の冒険とか)や美しく深い言葉も凄いけど、なにより彼の「隣のやさしいおじさん」的な存在に惹かれる。とても親しみやすく、友達と呼べる気楽な存在。でも、敬愛している大切な先生の一人。彼はいつもニコニコしながら「地球ってなんて最高なんだ!地球を大事にしながら楽しく生きようよ!」って言っているような気がする。でも、エネルギーのやりとりだから、文字では伝えきれないけど。会えば分かるはず。因に、11月に来日して、善良寺と京都のどこかで講演会があるみたい(すぐ満席にかも)。
ティクナットハンと共に鐘を招く子供
いままで、もっとも深い学びのきっかけをくれたのは、禅僧のティクナットハン。出会った人の中では格別に次元の違う存在。彼の教え・言葉・在り方のおかげで、より本質的な「現実」の中で生きる時間が増えて、幻想の中で生きている時間が減った。幸福をいつでも感じられる方法もしっかり受け取ったし、恐れや苦しみの変容も身に付いてきた。彼はいつも一番大事な学びを子供でも分かるかたちで教えてくれる。最高の先生で、出会えたことに何より感謝したい。しかも、20代に出会うことができたから、何度も会う機会を頂けた(でも、よく彼のお話の途中でぼーっとしたり、他のことを考えたりしてたことも多々!)。彼はサティシュのように友達になれる感じではなく、ちょっと畏れ多い感じになってしまう。とても優しく思いやりがにじみ出る存在なんだけど、禅に一生を捧げた人だけに、一目で見抜かれていた感じがした。中途半端な実践者ですんません(中途半端な土下座)!
本当は、一年弟子入り(仮出家?)しようと思ったくらいだったんだけど、もの凄く残念ながら出遅れてしまい、彼はその翌年、脳出血で倒れてしまった。一年も彼と共に過ごしたらどれだけ人生が変わったか。
*Picture from realityisagame.com
非暴力コミュニケーション(NVC)の創始者マーシャル・ローゼンバーグも数年前に亡くなってしまった。彼も、僕の大学で講義をしてくれた人の一人なんだけど、その時のことをなにも覚えてないし、再会することもなかった。まだ、受け皿が僕にはなかったんだと思う。でも、今はマインドフルネスやパーマカルチャーの様に、NVCが僕の生き方の根っこになっていて、彼の蒔いた種が発芽したのかもしれない。実は、今からNVCのリーダーシッププログラム合宿に向っているところ。
笑いの天才、畑の魔女ゆりこ・ブロックス
歯が抜けた顔にたいして自分で何度もウケていた
ここで、みんなに伝えたいのは、いい先生と出会ったら、学べるだけその人から学ぶこと。移住するくらいの勢いで。かけがえのない時間になるはず。僕は、ティクナットハンの禅寺で二ヶ月住んだことがある(今思うと短かったな〜)。パーマカルチャーと生き方の先生、ブロックス三兄弟や第二の母ゆりこさんとは14ヶ月共に暮らした。いい先生と出会ったら、できるだけその人と時間を過ごすことを強くおススメしたい。いつそういう人から学べなくなるかは分からないから。
僕が興味をもって学んだできたことは、だいたいいい先生によって誘導されてきた。心理学、有機農業とアグロエコロジー、サステナビリティー、非暴力コミュニケーション、パーマカルチャー、マインドフルネス(禅)。その「いい先生」はみな実践者。理論や言葉だけではなく、その世界観を在り方で体現してくれた。
僕は在り方に惹かれる
いいことを言う人は沢山いるけど、my life is my messageを生きている人、在り方で人の心を動かしてしまう人は少ない。
ティクナットハンの佇まいに衝撃を受けたのを覚えている。彼が一歩一歩、到着しながら歩いて、ゆっくり腰を下ろして、皆の前でいまここにしっかり在り続けながらお茶を飲んでいることに感動したことがある。「僕が平和活動家として探していたものはこれだった」って。僕にとってのいい先生は、僕の心を動かす人。存在から教えてもらえる人。
みんなもそういう人と出会ったことある?
おおくの無名の先生方にも自分の成長を支えてきてもらった。小中高の先生、バッタリあった他人、旅人、旅先で出会った人(中米の貧しい農家とか)、赤ちゃん、植物、動物、菌類、山、川、石、風、木、森、太陽。。。とくに自然は僕にとっては欠かせない大先生。
*Picture by Eri Suzuki
(ジャイアントセコイヤに腰をかけて瞑想)
(ジャイアントセコイヤに腰をかけて瞑想)
レッドウッド(赤杉)、ジャイアントセコイヤ、木の子、海(自分の名前だけに)はとくに僕の先生として敬愛している。彼らとは時間が過ごせるチャンスがあれば、静かに一緒にいる時間をとる様にしている。誰よりも長く存在してきた先生たち。
そして、親もぼくにとっては貴重な先生。
彼らの一部である僕は
数えきれないことを学ばせてもらった。
彼らが育ててきた土壌に
おおくの美しい芽が発芽して
実っている。
ありがとう
導く存在たちに感謝