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Tuesday, December 11, 2018

【FACEBOOKやSNSをやらない理由】 PART 1



 thisiscolossalより by Mister Thoms


僕は、個人的にはフェースブックやSNSをやっていない*

*厳密に言うと
  • 僕のブログがTUPのフェースブックと連動している(管理はTUP仲間がしている)。たぶん、フェースブックでこの記事を読んでいる人が一番多いかな
  • (不思議なことに)近所の人と連絡をとるために、たまーにパートナーのメッセンジャーを使ってしまう
すっごく便利で、周りの人がほぼ100%使っているのに、ここまで使わないことにこだわっている理由をシェアしたい。僕の考えやSNSのとらえかたも進化してきたから、時系列順に書こうと思う。

みんなSNSやめろ!っていうメッセージではなく、いまの現状に違和感や心配があるから、主流じゃないぼくの考えをシェアしたかった。とくに、子供を育てている親や先生方にはとくに気をつけて欲しい。

誰かの参考になれば


【大学時代】

僕が大学一年生(2001〜2002)に【フェースブック】 って言葉を聞きはじめた。一般社会で「最新」「最先端」「流行の」とされているものに、どこか違和感を感じる性質がある。「今の時代、フェースブックしないと。。。」って聞いたとき「アホか!」って思ってた。

携帯や車も抵抗した(今は使っているけど)。無いと生きていけない、仕事が得られない、活動ができない、友達が増えない、豊かになれないみたいなことが、商品を売るためのマーケティング(一種の洗脳)にしか聞こえない(実際、消費者をリ利用したマーケティングだったりもする)。人類は、これらなしでここまでこれたのに、なんでいきなり「ないといけない」と信じるんだろうって疑問に思う(効果的なマーケティングだからだよ)。一般的な流行に抵抗をする性質があるから、それなしで楽しく生きてみせるって軽く気合いが入る(当時は携帯も車もなしにアメリカで生活していた)。


 【日本に来てから】

ジャングルやパーマカルチャー生活から、東京に平和活動するために帰国したとき(2011)、初めてスマホを手にした。なぜかは忘れたけど、周りに流されたのかも。今、携帯を持っている理由はパートナーや彼女の母が「飛び回っている海に、連絡がつかないと不安だ、子供もいるし」って言われて、再び手に入れることにした。安心と気楽さのある家族生活のための折り合い。

日本中でワークショップをするなか、ワークショップの参加者が「フェースブックページ作ってあげようか?」って言ってくれた。そのほうが「活動が広がるし」的なことを言われたり、自分でもそう思うようになった。誰かが手伝ってくれるって気持に一番動かされたのかも。そうやってTUPのフェースブックページができた。

僕の中では、とりあえず自分は関わらないようにして、もし誰かがやりたいのであれば、止めないというスタンスを取っている。 便利なツールでそれによって発信力やより多くの人との繋がりも増えたけど、より大きな視点でみるとSNSにたいしての心配が増えている。


 【なぜ、やらないのか】

幾つかの理由がある

1。メールでいっぱいいっぱい
僕のメールボックスは現在13、200以上の未読メールが溜まっている。追いつけないし、メールボックスをあけること自体がストレスと感じることもある。メールとの関係が不健康だと感じているのに、簡単にやめられそうになく(いろんなニーズを満たしているから)、依存気味。メールのマネージメントもできなく、ときどき目的なくメールボックスを何度もチェックしている自分に気づくと、SNSとかは自分にとってさらに危ない依存対象だと思ってしまう。もっと便利で、もっとハイスピードで、依存性を徹底研究されているものに手をだせない。


2。周りの光景に圧倒されている
ガラ系の携帯の時代に、会話の最中にひたすらメールを打ち続けていた友達がいた。顔は僕を見ているけど、指が猛スピードで動いていた。その状況に拒絶反応がこころの中で出はじめた。

そこから、スマホの時代がきて、周りの人が画面に集中する景色が日常となっていった(とくに東京は)。その多くの人が夢中にやっていたのがSNSだったり。僕も、電車の中でパソコン作業をしたりするけど(例えば今)、社会現象として画面を見てコミュニケーションをとることが主流化している光景に拒絶反応している。言葉にしにくいけど、直感的にヤバいって感じている。

自然発生的な感じもするけど、どこか「マーケティング」「イノベーション」「テクノロジー」という名のもとで人口操作されている感じもする。

みんなは違和感ない?


ここまでは感覚的なはなしだけど、だんだんと自分が感じていた違和感を裏付ける情報と出会うようになった。


3。 依存のデザイン
依存性の高いものを売るのは、お金儲けと人をコントロールするための(とても残念な)必殺技。

例えば、こういうものが身近かも
  • タバコ、お酒、依存性の高い製薬などのドラッグ類
  • 砂糖 や糖類(子供を見るとよく分かる)
  • 化石燃料(石炭、石油、ガス)や電力
  • 金融商品(ローンとか)
  • 種(F1や遺伝子組み換え系)、農薬、化学肥料
  • そして、パソコン、スマホ、オンラインショップ(アマゾン)、SNS系

依存している人にとっては、ないと生きていけないとおもってしまったり、実際、身体的に依存してしまっていたりしている商品。

みんなは、これらなしで幸せに生きていけると思う?


ギフトエコノミー仲間が主催している、ラダーシップ・サークルでテクノロジーを扱った週があった。そこで、宿題にだされた幾つか興味深い記事があった。

【記事1】QUARTZ:Sean Parker admitted how Facebook exploits human psychology

記事の一部翻訳すると

フェースブック初代CEOのショーンパーカーが言うには、フェースブックの一番の目的は人の注目(意識)を捕らえること

フェースブックなどを開発する際に、「利用者の時間と注目を最大限に消費するにはどうすればいいのか?」という課題に取組んだ。

その手段として、ドパミン(神経伝達物質)作用をたびたび引き起こす「いいね!」やコメント機能がある。それがさらに「いいね!」やコメントという形のコンテンツを増やす作用がある。

これは社会承認フェードバックループ。。。まさに僕のようなハッカーが思いつく手法。人間心理の弱さを利用しているんだ。

フェースブックは利用者と社会との関係を変えてしまい、おそらく人の生産性を変なふうに妨げている。子供達の脳にどんな影響を及ぼしているのか想像もできない。

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【PART 1 終りに】

【FACEBOOKやSNSをやらない理由】 PART 2 では、グーグルの倫理部門の担当者である人の記事を紹介したい。マジシャンでもあるかれは、いかにSNSを開発している人たちが、僕たちの心理的弱みを積極的に利用しているかの話と、そのトリックの解説を一部訳そうと思っている。ビッグビジネスだからね。

因に、僕は完全グーグルに依存していて、それを意識しはじめた。グーグルも僕たちのデータを売るビジネスモデル。 フェースブックはヨーロッパやアメリカで大問題になっていて、市民や民主主義を守るための取締が始まっている。政治的影響力(トランプ政権やEU離脱に重要な役割を果たした問題)や、税金を免れていることとか、データ大量流出とか、ミャンマーの虐殺に使われてきたこととかがニュースになっている。


だいぶ長くなっちゃったけど、最後にラダーシップ・サークルでシェアされた素敵なTEDトーク。「仮想現実(VR)」という概念を社会に広め、「VRの父」とも呼ばれるコンピューター科学者のジャロン・ラニアー(WIREDの記事)。彼は90年代のデジタル文化で起きた悲劇的な間違いについて語っている。この間違えがグーグルやフェースブックの土台となってしまっていて、人類にとって悲惨な状況を引き起こしている。

"We cannot have a society in which, if two people wish to communicate, the only way that can happen is if it's financed by a third person who wishes to manipulate them,"

二組の人がコミュニケーションを取ろうとする時に、人を操ろうとする第三者(広告会社とか)が融資しないと、コミュニケーションがとれない社会は成り立たない。
 (海の雑訳)

 残念ながら和訳がまだない(韓国語の字幕はあるけど)