Pages

Tuesday, April 24, 2018

「いのち」の世界で暮らす - 辻信一さんとのトークライブ memo


仲間の新井さんが
4月7日に善良寺で行った
辻さんとのトークライブを
メモってくれた。

テーマは死と生
僕は、パパになったことの話をお願いされていた。

ニュアンスがまだ上手く日本語で表現できてないけど
そこらへんは多めに見てね。
男、女の話は社会の構造(システム)の話で
個人が悪いとか言っているわけじゃないから
男性のみなさん、ご了承くだせ〜

Check it out!
*ちょっと編集した部分もある

オリジナルはここ

ーーーーーーーーーーーーーーーー

4月7日夜、戸塚の善了寺で辻信一さんとソーヤー海くんのトークを聞いてきました。辻さんの亡き母の回顧展の最終日、テーマは「死と生」でした。
冒頭に海くんから、会場のみんなに質問がありました。

「生きること」って何だと思いますか?
というものでした。

数人の回答を聞きながら、僕はこんなことを考えていました。
シンプルに言うと「死ぬまでの時間を過ごすこと」かな。
寿命まで生きるかもしれないし、
病気になるかもしれないし、
不慮の事故で今日の帰りに死んでしまうかもしれない。
だから、その限られた時間を大事に生きる。
可能なかぎり、丁寧に、穏やかに、楽しく過ごす。
以下、海くんの話したメモです。


●「いのち」の世界で暮らす

長い間、彼女との間で、
子どもが欲しい、欲しくないという話が続いていた。
僕は子どもが欲しいけど、彼女は欲しくない。
子どもが欲しいことも、パートナーシップも、どっちも大事。
当時、彼女自身の体調が悪いこともあり、
彼女が健康で過ごせることを優先した。
すると、しだいに彼女の意識が変わり始めた。
千葉県いすみ市に移住して自然に囲まれ、
あふれる「いのち」を実感するようになった。
そして5軒の長屋には、子どもがたくさんいて、
今は大人が9名、子どもが9名という環境。
日常の暮らしで、子どもの話が多く出るし、
なかには「3人目どうしようかな?」という人もいる。
そういう日々を過ごすうちに、
彼女の意識も
「子どもがいる暮らしが当たり前」と変化してきた。
やっぱり、暮らす環境がすごく重要。

現代の都市文明は「殺す」文化になっている。
殺虫剤、除菌グッズ、薬用石鹸など、
自然界に存在するものを敵とみなして
「死の文明」をつくってしまった。
逆に、田舎は「いのちの誕生」がベースにある。
田舎にいると「いのち」のお祝いが毎日ある。
カエルの声、鳥のさえずり等。
そういう環境に身を置いていると、
僕は「この星にお祝いしにきた」ことを思い出す。
それが自分にとって「生きること」のひとつ。
生きる目的は、いのちを祝福するため。
生態系の一部として生きる。
全体を構成するなかで、
自分の役割を知って生きる。
いのちの繋がりを感じていると、
始まりと終わりのない世界が見えてくる。
区切ることに意味を感じなくなってきた。
あなたとわたしの境界線があいまいになる。
肉体がなくなっても、存在は生き続ける。

また、調味料や牛乳などがないときに、
隣の人に声をかけて分けてもらう。
近所の人に何か助けてもらえる安心感。
都会はコンビニやスーパーに支えられている。
繋がりから生まれる自然な思いやりが大事だけど、
それがない孤立した社会になってる。
レジの人と会話しないことが当たり前。
人と人の関係がおかしくなっている。

日々、「生きること」について考える。
自分の心の中の「いのち」に水をやるのか、
政治や制度を批判することに水をやるのか?
都会には見える自然が少ない。
コンクリートのビル、アスファルトのすき間の雑草。
「自然」よりも「お金」を大事にする社会。
それを社会や国レベルでやると、その先には「死」しかない。

My life is my message.
というガンジーの言葉が好き。
「私の人生が私のメッセージ」という意味。
子どもをどういう世界に招待するのか?

●活動家の子育て

京都北部で暮らすシングルマザーが、
「子づくりばかりせんと、子育てしいや」と言っていた。
活動的な人は、新しいことを始めがちだけど、
それを丁寧に育てて続けることが少ないという皮肉なのだ。
とくに男性は、そういう傾向がある。
例えば子どもを持つとしても、
男は外に出て、子どものことを忘れることがしやすい。
けれども母親は、24時間、子どもと過ごす。
男と違って、それが人生そのものになる。
(傾向の話だから、みんながみんなそういう訳ではないよ)

いろんな活動家の親子を見てきた。
各地を飛び回っていて家にいないので、
家庭の平和が得られていないケースも多い。
サラリーマンと同様に
親子間の親密な繋があまりないことも。 
世界を良い方向にと忙しく働きかけて
家庭、子供、自分が置き去りになってしまう悲劇。

子どもとどう過ごすか、
妻とどう過ごすか、
妊婦さんにどう共感するか、
そういうことがすごく大事。
男は離れられるが、女は24時間。
例えば、母乳が足りないときに、
ミルクをあげるかあげないか、
あげるなら、どのメーカーのミルクにするか等、
日々難しい選択に迫られている。

僕は専業の「お父さん」(主夫)をしている。
月に一度、都内に出てイベントに出るくらい。
でも一般的な会社員はそれができない。
お父さんが子育てに関われないのは社会問題。
都会は子どもと女性が排除される空間になっている。
効率的な経済活動をするために、しかたない?
根本的に仕組みを変えるは難しい。
子どもは瞬間瞬間に育っていくので、
できるだけ一緒にいられることが大事。

●正しさよりも、優しさを

今はプレッシャーや恐れを原動力にしている社会。
親になるというプレッシャーが大きい。
でも、子どもは社会の宝だから、
みんなでお祝いして、みんなで育てる必要がある。
自分や会社の利益をいかに増やすかを考えている。
そうではなく、思いやりと優しさの社会へ。
ニーズを大事にしたい。
みんなが豊かになる世界を目指したい。
それは日々の小さなアクションで可能。
優しさの実験をやってみよう!
例えば、妊婦さんを見かけたら微笑んでみる。
すると、自分の心が変わっていく。
誰かに席を譲るときに
頭で考えた正しさからではなく、
心からの優しさと思いやりで行なう。
そういう自分の心を育てたい。
自分より高齢な人や妊婦さんが目の前に現れたときに、
そのチャンスを活かすかどうか、
それは優しさの世界への「招待状」だと考えてみよう。
受けるか受けないかは、そのときの気分でいい。
疲れていたら、その招待は見送ってもいい。
もしくは、何かを盗むのと反対のことで、
誰かに勝手にものをあげて、すぐ逃げるのもいい。
本当は、気づかれずに親切にできれば最高。
これは「恩送り」のゲーム。
何が正しいかは、人それぞれだから、
「正しい」ことではなく、「優しさ」を育てよう。
他者に優しくすると、自分にも優しくなれる。
自分が席を譲ったときは、
次はあなたの番ですよって
周りの人に優しさの世界へ「招待」している。
いつでも参加できるけど、参加しなくてもいい。
そんな「席譲りゲーム」に君も参加しよう!