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Tuesday, March 22, 2016

【RadioActive Radio Ex. 4】デアンジェリス風砂子「ヒッピー人生:空襲からベイエリアへ」

冨田貴史君と始めたアクティビズムを
テーマとしたネットラジオ。
かなりマニアックだけど
社会を真剣に変えたい人や
そう言う人の話を聞きたい方におすすめ。
番外編第4回目はデアンジェリス風砂子さん。

カリフォルニアのバークレーで出会った
凄まじい人生を生きてきた日本出身のヒッピー。
話が色んなところに飛んで
収集がつかないお話だったけど、
米軍の空襲、安保闘争、羽田空港包囲、
インドヒッピー生活、カナダのコミューン、
 福岡正信さんのために布団をつくってから
布団屋になった面白い話が盛りだくさん!

「日本人」の多様性を感じさせられる。

Check it out!




風砂子デアンジェリス
Berkeley, California (USA)在住。
1936年 浜松市生まれ。 第二次世界大戦夜間空襲の中を逃げ回る。芸大生の時、60年安保闘争。 その後インドへ。ネパールで欧米からのヒッピー達に会う。1969年、子供 3人を連れカナダのコミューンへ。そして今の夫ミノに出会い、New Mexico (USA)のラマファンデーションに3年滞在。1975年にCaliforniaへ。予想外の 布団屋開業。1992年依頼、反戦、環境運動にかかわり、今に至る。現在、 孫 5人のババ役
 Life events(上記のブログで話してる内容とかぶる感じ。)
一九三六年:風薫る五月、浜松市の酒屋に生まれる。
一九四一〜五年:第二次世界大戦。三年生になったばかりに、夜間焼夷弾攻撃で、浜松市は全焼。炎の中を姉と逃げ回る。
一九四九〜五五年:戦後初めて男女共学になった中学、高校で「民主主義」「平和憲法」「男女平等」等の新語に出逢い、わだつみ会に参加して記事などを書く。
一九五六〜六一年:東京藝術大学美術学部に入学。安保闘争に全エネルギーを投入。そこで出会ったイサムと結婚。長女ノラを身ごもる。
一九六二年:長女ノラの一歳の誕生日の直後、イサムは日本画家の母と共にインドへ旅立つ。
一九六四〜五年:イサムに合流するため、ノラを連れて日本さよなら。ボンベイで二年間、偽生け花師匠を演じることになる。
一九六六〜八年:ネパールのカトマンズで工芸指導所に就職。そこで、アメリカやヨーロッパから押し寄せたヒッピーたちに出会い、意識の飛翔を体験。カトマンズで二人目のヨウを出産したあと、日本に一時帰国。イサムは再びヨーロッパへの旅に出る。わたしは三人目の娘、ケシを出産し、一年後にメキシコでイサムと再会。
一九六九〜七一年:メキシコからアメリカを北上、カナダのヒッピーコミューンでイサムとの関係が崩れ、対抗文化のマジックとしか思えない、今の夫ミノと出会う。
一九七二〜四年:徴兵拒否者のミノと三人の子どもたちを連れ、ヒッチハイクでニューメキシコ州のコミューン、ラマ・ファンデーションを訪れ、そこで三年間暮らす。
一九七五年:ラマを去り、カリフォルニア州バークレー市に移住。
一九七八年:ミノと子どもたちを連れ、日本に一年滞在したあと、沖縄列島を旅する。
一九七九年:アメリカに戻った直後、日本から訪れた『自然農法わら一本の革命』の著者、福岡正信さんの講演会の通訳をする。それがきっかけとなり、バークレーで「月篭ふとん」を開業。ビジネスを通じて、コミュニティづくりを大切にしながら七年間営業を続ける。
一九八七年:初孫が産まれ、その後に両親が他界。さらに四人の孫の誕生を通して、感動的なおばあちゃん役にはまり込んでいく。
一九九一年:第一次湾岸戦争が勃発。子供時代の戦争体験が再現し、以後反戦運動、反核運動、環境問題などに没頭する。
二〇〇一〜一〇年:九・一一事件、アメリカによるイラク、アフガニスタン侵攻以後、バークレーの日本人グループ「地球の集まり」や「プルトニウムフリーフューチャー」に参加し、エッセイ執筆、抗議活動などに参加する。
二〇一一年〜現在:福島の自然災害、人工災害の被害が続く中、一人一人の意識と感性の目覚めに基づく改革を支援する。