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Wednesday, November 20, 2019

[ WIREDの記事】今の時代の捉え方「ホモ・デウス」のブックレビュー


尊敬している辻信一やヘレナノーバグホッジは批判的だったけど、僕は「サピエンス全史」に影響されていろいろ考えさせられている。

Samgha出版のためのお金と経済の記事に、ハラリのお金の起源、定義、人類への影響を参考にしたかった。サーチをかけたら、以下のWIREDの記事が見つかった。

面白いから一部分をシェアしたい。とくに、社会変革に取組んでいる人は、これは大事な視点だと思う。


長い記事だから、一番響いている部分(読んだ部分)を切り抜いた。ハラリの「ホモ・デウス」をスーパーヒーロー映画の「シビル・ウォー」で解説している池田純一さんのブックレビュー。

ここで急いで補足すると、ハラリがいう「ヒューマニズム」は、まずは「人間第一主義」と捉えておけばよい。神託ではなく人間の意志が権威であり意思決定の中心である点で、ヒューマニズムは、19世紀以降登場した各種の社会思想、すなわち社会主義や共産主義、あるいはナチズムまでも含む。ハラリの見たところ、最も成功したヒューマニズムがリベラリズムであり、リベラリズムの4点セット──個人主義、人権、民主政、自由市場──が20世紀中盤以降の社会の形成に大きく寄与したと考えている。そして、このパッケージに綻びが生じつつあるのが21世紀の現代であると見ているのだ。

ちなみにホモ・サピエンスの後釜に座る、人類が進化した「ホモ・デウス」は、ヒューマニズムの延長──ハラリは「テクノヒューマニズム」と呼ぶ──で生じる。一方、データイズムが生み出す存在が「超知性(Super Intelligence)」だ。『シビル・ウォー』では、「ヴィジョン」という名の、トニー製作のAIが自発的に進化したヒトガタの超知性体も登場するため、「キャプテンvsトニー」の対立は想像以上に“Homo Deus”の記述と共振している。

そもそもキャプテンとトニーとではその「超人の力」を手に入れた経緯もまったく異なる。

キャプテンの場合は、志願兵となった過程で軍が超人化計画として開発した超人血清を投与され、生体強化人間として生まれ変わっている。対してトニーの場合は、自ら開発した外部兵装を装着することで「鉄人=アイアンマン」となった。いわば戦車や戦闘機をスーツとして開発し直したようなものだ。この点では同様のスーツ型兵装を装着したトニーの友人であるローディ大佐が名乗る「ウォーマシン(戦争機械)」の方がわかりやすいかもしれない。

ハラリはナチス時代の、いわゆる優生学的な人間中心主義の動きを「進化的ヒューマニズム(evolutionary humanism)」として紹介しており、21世紀における生体強化の動向も、その延長線上にあると考える。実は、キャプテン・アメリカを生み出した超人血清も作中ではナチスによる研究の系譜にあり、ここでも完全に『シビル・ウォー』は“Homo Deus”の陰画的作品となっている。

2015年に収録されたTEDの様子。「Why humans run the world」と題し、生物種のひとつであった人類がなぜ地球上でこれほど繁栄したのかを語った。 生体データによって「人間第一主義」は自壊する

今見たように、キャプテンに施された、薬剤による生化学的作用を通じた「生体強化」の試みは、“Homo Deus”の主題とも大きく関わる。ハラリによれば、20世紀と21世紀で科学技術──今風にいえば〈ハイテク〉──の研究開発対象は大きく旋回した。端的に、20世紀の科学技術が、機械やエネルギーに関わる技術として、私たちの身体の「外部」を操作したのに対して、21世紀のハイテクは私たちの身体の「内部」──具体的には「ボディ、ブレイン、マインド」──の操作に向かう。

ちなみに、この流れで見れば、身体への侵襲を伴わない視覚や聴覚への間接的刺激を中心にしたメディア技術は、この「身体外部から身体内部へ」という流れの過渡期にある技術といえる。iPhoneのようなガジェットは、ウェアラブルを端緒に、この身体操作に向かう際の「欲望」を人びとに意識させ顕現させるテストベッドといえる。データイズムへの移行はすでに始まっているのだ。

そして、この身体内部の操作技術の開発に「明確な指針」を与えるのが、「生体器官(organism)はアルゴリズムである」という、“Homo Deus”を最初から最後まで貫く考え方だ。

生体器官はアルゴリズムであるから、その活動状態を計測し継続的にモニターすることで、その背後にある法則をあぶり出すことができる。そして、その法則を今度は人為的に活用する。実はこうしたデータ志向の開発方法論が、ハラリ言うところの「データイズム」の発端なのだが、この方法論がいつの間にか目的化してしまい、「人間がデータ中心主義のシステムに囚われることで主従が逆転してしまう」というのが「ヒューマニズムからデータイズムへ」という流れの本質なのである。

この転換がどうにも嫌らしいのは、もともとは個々人の長寿化の願望──医療従事者からすれば患者の「救命」は第一の行動規範である──から発した「個々人の生体情報のモニター」から生じるためだ。この点は、ハラリも順を追って詳細に議論しているのだが、要するに、常時モニターされる生体情報が「クラウド(=サーバー)」に集積され、そこで十分なコンピュータパワーによって解析されることで、当の「クラウド」の方が、観察対象者の生体状況について「よりよく知っている」存在となってしまう。そして、この「知識におけるシステムの優位性」の確立が近未来の転換点となる。

ところで、この「十分なコンピュータパワーの保有」という点で、ハラリはGoogleやFacebookなどのシリコンバレー系のIT企業に強い関心を寄せる。それらの計算資源を足場にして、遠からずこうしたIT企業の多くがバイオテック企業へと転じ、今ここで書いたような生体情報解析サービス業へと変貌するとみている。すでに人びとの間でGoogle Mapに依存した行動パターンが確立されたように、自らの身体のマップ化についてもGoogleなどに進んで依存する時が遠からずやってくるとハラリは考えている。

当初は、血圧や血糖値、あるいは心拍数などの、いわゆる「健康」状態を示唆する数値の取得に過ぎなかったものが、やがて心電図や脳波などのモニター技術にまで発展し、その過程で、モニター対象が、いわゆる「ボディ(身体)」だけでなく「ブレイン(脳)」や「マインド(精神状況)」にまで及ぶというのがハラリの見立てである。

そして、マインドにまで至った時点で、果たして「自分のことをよく知る者は、従来通り〈自分〉なのか、それともネットワークの先にある〈システム〉なのか?」という疑念が生じてしまう。疑念でとどまればよいが、ある時点でむしろ自分のことを客観的によく知るのは〈システム〉の方であると確信し、それゆえ〈システム〉の示唆/指示に従うほうが「間違わない」と多くの人びとが感じてしまう時がやって来る。その時が「データイズム」が、単なる方法論から「共有虚構(shared fiction)」──イデオロギーに相当する共同幻想全般をハラリはこう呼ぶ──へと転じる時であり、以後、「人間中心」の社会から「データ中心」の社会へと転じる。次に控えるのが、個人の意志や欲望も〈システム〉の側から操作可能になる時代だ。

この話が厄介なのは、長寿・救命という「ヒューマニズム(人間第一主義)」の要請に素直に従っていく過程で、その試み自体がヒューマニズムの前提、すなわち、人間が世界の中心であり、人間が世界秩序を決める「最終権威」である、という考え方の大前提を切り崩してしまうところだ。なぜなら、人間よりもシステムのほうが人間のことをよく知る存在であることがあからさまに公知のものとなってしまうからだ。なにより、人間の精神状態(マインドやコンシャスネス)も、生体活動を支える生化学的アルゴリズムが発現させたものにすぎないと、当の〈システム〉が日々囁いてくる。

こうしてヒューマニズムは内破し、データイズムに社会/世界の最高権威の地位を譲り渡すことになる。



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