ハロー
みんな元気?
僕は2011年から夢見てきたことが
道場という形で実現していて
毎日がいきいき
みんながそういう気持で生きていられたら
どれだけ平和で楽しい世の中か
今日は、
道場の研修生?住人?と運営メンバーと
ブラウンズフィールドの愉快な仲間達と
NVCの仲間達と
鹿児島のテンダーが集まって
ビーガン・ビザパーティー&
4種類の餅、持ち寄り会をした
星空、かえるの鳴き声、裸で走り回る子供
命の祝福
明日はテンダー先生の火起こしワークショップと
テンダー特有の面白いテーマのお話会
【本題】
今週末、7日の午後に江戸博物館でトークに誘われた
EDO→TOKYO VISION
面白いメンバーとのお話会だから
ワクワクしている
アズビーブラウンにも会いたかったし
彼が書いた江戸のデザインをてーまとした本
JUST ENOUGH(日本語版は「江戸に学ぶエコ生活術」)
は日本のパーマカルチャーを表現している面白い作品
読んだことない人はcheck it out!
さて、そんなイベントのために作られた
東京(都会)っぽいPVが送られてきて
いろいろ考えさせられたから
シェアしたくなった。
Check it
【大名行列】Dominal lord’s processions 江戸時代に大名が参勤交代の際、城下町、宿駅に入ると隊列を組んで通過した。大名は妻子を江戸に住まわせ、江戸と国許(くにもと)を交代で勤める参勤交代をしなければならず、大名行列の人数は各藩によって異なっていたが、加賀藩の場合、総勢2000人を超えることもあった。大名行列はその家の格式と武威(ぶい)を象徴する、ハレの行列であった。
【通勤ラッシュ】Commuter rush 日本の通勤ラッシュの過酷さは世界でも有名で、世界の乗降客数ランキングの上位は、ほとんど日本の駅が独占している。一方で、そんな混雑の中でも、割り込みもせず、文句も言わず、美しく列をつくる日本人の姿は、世界中の賞賛の的ともなっている。それは、協調性や美意識を大切にする日本人が作り上げてきた、一つの文化と言えるかもしれない。
【駒下駄】Low wooden clogs 一般に庶民の間で履き物が普及したのは江戸時代になってから。駒下駄は「こっぽり」または「ぽっくり」と呼ばれた下駄で、庶民に広く用いられた日和下駄(ひよりげた)とともに18世紀後半に町娘たちの間で流行した。ぜいたくな鼻緒の下駄、漆塗りの塗り下駄ももてはやされた。
【ヒールレスシューズ】Heelless shoes 日本人デザイナーの舘鼻則孝が生み出した、ヒール部分のない靴。江戸時代に花魁が履いていた高下駄にヒントを得て作成された。レディ・ガガが愛用したことで人気に火がつき、今では世界中セレブの注目の的に。江戸時代の美意識が、現代美術のエッセンと融合することで、今、国を超えて多くの人の支持を集めている。
【辻駕籠】Street palanquin 人を乗せて人力で運ぶ「駕籠」は江戸時代のポピュラーな移動手段のひとつであった。位の高い人物が使用する自家用の駕籠のほかに、現在のタクシーのように町でランダムに客を拾う辻駕籠など、様々な駕籠が江戸の町を往来していた。 【タクシー】Taxi 目的地まで直接クルマで運んでくれる交通手段として、地下鉄やバスとともに、東京の交通インフラを支える重要な役割を担っている。初めて登場したのは、大正元年。初乗り料金60銭、6台からのスタート。今では全国で約24万台が走り、独自のサービスで日本流の”おもてなし”を体現するタクシーも次々と現れている。
【手動式扇風機】Manual fan 角度をつけた団扇4枚を羽根として、手回しで風を送るという原始的な扇風機。江戸時代後期の浮世絵にもこの手動式扇風機は登場する。安政2年(1855)、二代歌川国貞が描いた「うちわ発風機をまわす女性」にも出てくる、当日としても珍しくもてはやされたのだろう。
【サーキュレーター】Circulator ↓ 扇風機の派生系として、直進性の高い風で部屋の空気を循環させるサーキュレーターが広まる一方で、江戸の時代から人々に安らぎを与えてきた「自然の風を再現する」というコンセプトのもと、面で広がるやさしい風を再現した扇風機も生まれるなど進化を遂げている。
【そろばん】Abacus 戦国時代から江戸時代初期にかけて、治水工事や築城、測量など実用の目的で和算が発達した。太平の世になると、算用は損得勘定という武士の美徳に反することから忌み嫌われたが、庶民の教育機関である寺子屋では、文字の読み・書きに加えて、場合によってはそろばんが教えられるようになった。
【POSレジ】POS register 売上情報を管理するシステム。最近では、スマートフォンなどにアプリをインストールするだけで、POSレジを低価格で導入できるサービスが発達してきており、インターネットを介して情報が記録されるため、店舗にいなくてもその日の売上や在庫情報を確認することができる。コンビニの普及した日本においても、独自の進化を続けている。
【盆栽】Bonsai 江戸時代は、大名から町人、農民まで幅広い階層の人々が、身分の垣根をこえて草花の栽培に喜びを見いだした。鉢植えの草花を持ち寄ってその美しさや珍しさを競いあうなど、独自の園芸文化が花開いた。
【アクアポニクス】Aquaponics 魚の水産養殖と植物の水耕栽培を1つのシステムの下で一緒に行う、新しい農業。魚の排出物は微生物に分解されることで栄養となって植物に吸収され、植物が浄化した水は魚の水槽へと再び戻っていくという、地球に優しい循環型のシステムとなっている。ルーツは西暦1000年頃の手法だが、その環境性や生産性から今世界中で注目されている。
【江戸前寿司】Edo style sushi 江戸時代も後期になると、江戸の町でも外食がさかんになり、各種の屋台が営業を開始するようになった。なかでも寿司屋の屋台は、江戸を代表するもののひとつとなった。寿司屋の屋台では、現在の寿司とは異なり、1貫が大振りで、新鮮な江戸前の魚介類が使われた。
【回転寿司】sushi-go-round 客席に沿ったレーンの上をお寿司が流れる、比較的安価な寿司屋。タブレット注文や高速レーンの導入、ICタグでの鮮度管理、メニューの多様化など、正統派の寿司とは異なる独自の進化を遂げている。江戸時代では屋台のファストフードとして愛された寿司が、現代では回転寿司という形を取ることで、変わらず庶民に愛され続けている。
【剣玉】Kendama けん玉は、安永年間(1772~81)に中国から輸入され、その当時は成人の遊具として酒の席などで流行したといわれている。明治期以降に、愛好する層が、大人から子供のおもちゃに変わった。明治にヨーロッパから教育玩具として紹介され、大正から昭和前期にかけて全国的に愛好層が広まった。
【KENDAMA】 江戸時代から続く「剣玉」が、フリースタイルスポーツとしてエクストリームに進化。サンフランシスコのスケーターを中心に「KENDAMA」として流行しはじめ、ブームが世界中に広がっている。足を使ったトリック、紐無しけん玉でのパフォーマンスなどの技が次々開発され、東京のパフォーマーはトップクラスの技術を誇る。出演は日本を代表するプロけん玉パフォーマー/人狼ゲームマスター、児玉健。
【江戸町火消】Edo town fireman 江戸の長屋はほとんどが木と紙からなる木造建築で火事にもろく、その対策の一環として江戸の町火消は、享保3年(1718)に町人の自衛消防組織として整備された。町火消の各組は「い・ろ・は」などの文字をあてて48組に組分けされ、「江戸の花」として歌舞伎や浮世絵に盛んに取り上げられるようになった。町火消は鳶と火消が一体となった町の自警団として火災や事件が起これば江戸の町を飛び回り、町を守る存在であったと言われる。
【パルクール】Parkour 街中にあるにある壁や手すりなどの地形を、生身の体で登ったり跳んだりする、フランス発祥のスポーツ。小柄で俊敏な日本人への親和性が高いのか、現在日本には世界トップレベルのプレーヤーが数多くいる。「現代版忍者」ともいえるその動きから世界でも人気が高く、日々進化を遂げている。出演は「日本最恐のパルクール集団」monsterpkのオリジナルメンバーで最年少のパルクールパフォーマー、ケンイチ。 https://www.monsterpk.tokyo
【江戸の花火】Edo fireworks 大飢饉や疫病の災厄を祓うため花火を打ち上げたともいわれている。大空に打ち上げる花火は享保18年(1733)鍵屋による両国の大花火が最初。鍵屋から独立して玉屋を創設して以来、両国の川開きには、両店が担当することになり「玉屋あ、鍵屋あ」の掛声が江戸っ子の間で生まれた。特に徳川御三家の花火は、その豪華さで大人気。川沿いには大変な数の見物人が集まったそうです。
【東京の花火】Tokyo fireworks 東京では、今でも夏になると、海沿いや川沿いで20以上の花火大会が開催されている。一番大きく有名な「隅田川花火大会」は新しい創作花火のコンクールも兼ねており、江戸からの文化の継承と進化の役割を担っている。建物の多い東京でビルの合間に見える花火の姿も、現代の東京らしい風情といえるかも知れない。
--------------
このイベントの後は
辻信一さんと
戸塚でゆっくり堂カフェで
夜のトークイベント
来れる方はぜひ
みんな元気?
僕は2011年から夢見てきたことが
道場という形で実現していて
毎日がいきいき
みんながそういう気持で生きていられたら
どれだけ平和で楽しい世の中か
今日は、
道場の研修生?住人?と運営メンバーと
ブラウンズフィールドの愉快な仲間達と
NVCの仲間達と
鹿児島のテンダーが集まって
ビーガン・ビザパーティー&
4種類の餅、持ち寄り会をした
星空、かえるの鳴き声、裸で走り回る子供
命の祝福
明日はテンダー先生の火起こしワークショップと
テンダー特有の面白いテーマのお話会
【本題】
今週末、7日の午後に江戸博物館でトークに誘われた
EDO→TOKYO VISION
面白いメンバーとのお話会だから
ワクワクしている
アズビーブラウンにも会いたかったし
彼が書いた江戸のデザインをてーまとした本
JUST ENOUGH(日本語版は「江戸に学ぶエコ生活術」)
は日本のパーマカルチャーを表現している面白い作品
読んだことない人はcheck it out!
さて、そんなイベントのために作られた
東京(都会)っぽいPVが送られてきて
いろいろ考えさせられたから
シェアしたくなった。
Check it
【大名行列】Dominal lord’s processions 江戸時代に大名が参勤交代の際、城下町、宿駅に入ると隊列を組んで通過した。大名は妻子を江戸に住まわせ、江戸と国許(くにもと)を交代で勤める参勤交代をしなければならず、大名行列の人数は各藩によって異なっていたが、加賀藩の場合、総勢2000人を超えることもあった。大名行列はその家の格式と武威(ぶい)を象徴する、ハレの行列であった。
【通勤ラッシュ】Commuter rush 日本の通勤ラッシュの過酷さは世界でも有名で、世界の乗降客数ランキングの上位は、ほとんど日本の駅が独占している。一方で、そんな混雑の中でも、割り込みもせず、文句も言わず、美しく列をつくる日本人の姿は、世界中の賞賛の的ともなっている。それは、協調性や美意識を大切にする日本人が作り上げてきた、一つの文化と言えるかもしれない。
【駒下駄】Low wooden clogs 一般に庶民の間で履き物が普及したのは江戸時代になってから。駒下駄は「こっぽり」または「ぽっくり」と呼ばれた下駄で、庶民に広く用いられた日和下駄(ひよりげた)とともに18世紀後半に町娘たちの間で流行した。ぜいたくな鼻緒の下駄、漆塗りの塗り下駄ももてはやされた。
【ヒールレスシューズ】Heelless shoes 日本人デザイナーの舘鼻則孝が生み出した、ヒール部分のない靴。江戸時代に花魁が履いていた高下駄にヒントを得て作成された。レディ・ガガが愛用したことで人気に火がつき、今では世界中セレブの注目の的に。江戸時代の美意識が、現代美術のエッセンと融合することで、今、国を超えて多くの人の支持を集めている。
【辻駕籠】Street palanquin 人を乗せて人力で運ぶ「駕籠」は江戸時代のポピュラーな移動手段のひとつであった。位の高い人物が使用する自家用の駕籠のほかに、現在のタクシーのように町でランダムに客を拾う辻駕籠など、様々な駕籠が江戸の町を往来していた。 【タクシー】Taxi 目的地まで直接クルマで運んでくれる交通手段として、地下鉄やバスとともに、東京の交通インフラを支える重要な役割を担っている。初めて登場したのは、大正元年。初乗り料金60銭、6台からのスタート。今では全国で約24万台が走り、独自のサービスで日本流の”おもてなし”を体現するタクシーも次々と現れている。
【手動式扇風機】Manual fan 角度をつけた団扇4枚を羽根として、手回しで風を送るという原始的な扇風機。江戸時代後期の浮世絵にもこの手動式扇風機は登場する。安政2年(1855)、二代歌川国貞が描いた「うちわ発風機をまわす女性」にも出てくる、当日としても珍しくもてはやされたのだろう。
【サーキュレーター】Circulator ↓ 扇風機の派生系として、直進性の高い風で部屋の空気を循環させるサーキュレーターが広まる一方で、江戸の時代から人々に安らぎを与えてきた「自然の風を再現する」というコンセプトのもと、面で広がるやさしい風を再現した扇風機も生まれるなど進化を遂げている。
【そろばん】Abacus 戦国時代から江戸時代初期にかけて、治水工事や築城、測量など実用の目的で和算が発達した。太平の世になると、算用は損得勘定という武士の美徳に反することから忌み嫌われたが、庶民の教育機関である寺子屋では、文字の読み・書きに加えて、場合によってはそろばんが教えられるようになった。
【POSレジ】POS register 売上情報を管理するシステム。最近では、スマートフォンなどにアプリをインストールするだけで、POSレジを低価格で導入できるサービスが発達してきており、インターネットを介して情報が記録されるため、店舗にいなくてもその日の売上や在庫情報を確認することができる。コンビニの普及した日本においても、独自の進化を続けている。
【盆栽】Bonsai 江戸時代は、大名から町人、農民まで幅広い階層の人々が、身分の垣根をこえて草花の栽培に喜びを見いだした。鉢植えの草花を持ち寄ってその美しさや珍しさを競いあうなど、独自の園芸文化が花開いた。
【アクアポニクス】Aquaponics 魚の水産養殖と植物の水耕栽培を1つのシステムの下で一緒に行う、新しい農業。魚の排出物は微生物に分解されることで栄養となって植物に吸収され、植物が浄化した水は魚の水槽へと再び戻っていくという、地球に優しい循環型のシステムとなっている。ルーツは西暦1000年頃の手法だが、その環境性や生産性から今世界中で注目されている。
【江戸前寿司】Edo style sushi 江戸時代も後期になると、江戸の町でも外食がさかんになり、各種の屋台が営業を開始するようになった。なかでも寿司屋の屋台は、江戸を代表するもののひとつとなった。寿司屋の屋台では、現在の寿司とは異なり、1貫が大振りで、新鮮な江戸前の魚介類が使われた。
【回転寿司】sushi-go-round 客席に沿ったレーンの上をお寿司が流れる、比較的安価な寿司屋。タブレット注文や高速レーンの導入、ICタグでの鮮度管理、メニューの多様化など、正統派の寿司とは異なる独自の進化を遂げている。江戸時代では屋台のファストフードとして愛された寿司が、現代では回転寿司という形を取ることで、変わらず庶民に愛され続けている。
【剣玉】Kendama けん玉は、安永年間(1772~81)に中国から輸入され、その当時は成人の遊具として酒の席などで流行したといわれている。明治期以降に、愛好する層が、大人から子供のおもちゃに変わった。明治にヨーロッパから教育玩具として紹介され、大正から昭和前期にかけて全国的に愛好層が広まった。
【KENDAMA】 江戸時代から続く「剣玉」が、フリースタイルスポーツとしてエクストリームに進化。サンフランシスコのスケーターを中心に「KENDAMA」として流行しはじめ、ブームが世界中に広がっている。足を使ったトリック、紐無しけん玉でのパフォーマンスなどの技が次々開発され、東京のパフォーマーはトップクラスの技術を誇る。出演は日本を代表するプロけん玉パフォーマー/人狼ゲームマスター、児玉健。
【江戸町火消】Edo town fireman 江戸の長屋はほとんどが木と紙からなる木造建築で火事にもろく、その対策の一環として江戸の町火消は、享保3年(1718)に町人の自衛消防組織として整備された。町火消の各組は「い・ろ・は」などの文字をあてて48組に組分けされ、「江戸の花」として歌舞伎や浮世絵に盛んに取り上げられるようになった。町火消は鳶と火消が一体となった町の自警団として火災や事件が起これば江戸の町を飛び回り、町を守る存在であったと言われる。
【パルクール】Parkour 街中にあるにある壁や手すりなどの地形を、生身の体で登ったり跳んだりする、フランス発祥のスポーツ。小柄で俊敏な日本人への親和性が高いのか、現在日本には世界トップレベルのプレーヤーが数多くいる。「現代版忍者」ともいえるその動きから世界でも人気が高く、日々進化を遂げている。出演は「日本最恐のパルクール集団」monsterpkのオリジナルメンバーで最年少のパルクールパフォーマー、ケンイチ。 https://www.monsterpk.tokyo
【江戸の花火】Edo fireworks 大飢饉や疫病の災厄を祓うため花火を打ち上げたともいわれている。大空に打ち上げる花火は享保18年(1733)鍵屋による両国の大花火が最初。鍵屋から独立して玉屋を創設して以来、両国の川開きには、両店が担当することになり「玉屋あ、鍵屋あ」の掛声が江戸っ子の間で生まれた。特に徳川御三家の花火は、その豪華さで大人気。川沿いには大変な数の見物人が集まったそうです。
【東京の花火】Tokyo fireworks 東京では、今でも夏になると、海沿いや川沿いで20以上の花火大会が開催されている。一番大きく有名な「隅田川花火大会」は新しい創作花火のコンクールも兼ねており、江戸からの文化の継承と進化の役割を担っている。建物の多い東京でビルの合間に見える花火の姿も、現代の東京らしい風情といえるかも知れない。
--------------
このイベントの後は
辻信一さんと
戸塚でゆっくり堂カフェで
夜のトークイベント
来れる方はぜひ