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Wednesday, October 25, 2017

【雑誌 TURNS】地方の経済入門「ギフトの世界に生きてお金から自由に】


地方の経済について取材したいって依頼があって
パーマカルチャーと平和道場でインタビューをしたよ
とても素敵な記事に仕上がっている

記事のタイトルが
「ギフトの世界に生きて
お金から自由に。」

って書いてあるけど
僕はまだお金から自由になっている訳じゃない
お金も使っているし
不安も出ることがある

なにより大事だと思うのは
お金の依存を減らしていくこと。
依存を減らせただけ自由になる
しかも、依存は破壊的な行動を促す
自分の大切なもの(家族との時間、健康とか)を
置き去りししてしまったり
環境破壊や立場の弱いひとを苦しめたり
騙してものを売り込んだり
お金の依存は人に恐ろしいことをしてしまう
人類史上一番危ない麻薬かもしれない

そういうことに気づきながら
多くの人が違う道を模索している
まさに、懐かしい未来
ギフトエコノミーも言葉は新いけど
みんな当たり前にやってきたこと
画期的に聞こえるけど
実は極普通のこと
だって、命の経済だから

みんなもその命の経済で
豊かになろうよ

心と自然との繋がりから思い出す
ギフトの循環

 記事はこんな感じ(編集前)










記事の一部


ギフト経済を実践するために、何から始めればよいのだろう?
  「毎日あらゆることへの感謝を練習すること。感謝からギフトのエネルギーが湧いてくる。それから自分にできることを身近な人にギフトしてみる。お金で交換していたものを与える必要はなく、やさしさスマイル、なんでもないことでいい。すごく簡単なんだよ。」
 意識が変わると自然とやり方が見えてくる。小さな一歩からギフトの世界に踏み出してみよう。
「大切なのはどう生きたいかを明確にして実現できる場所を見つけること」という海さん。なぜいすみ市に拠点を移したのだろう。
「都会は"人間"という資源の宝庫でおもしろいし、発信者の活動は充実していたけど、"生きる活動"が疎かになってきて。少し東京との距離をとりたくなったんだ」
 移住後は心に余裕が生まれ、生きることを取り戻しつつある。
「パーマカルチャーは都会でも実践できるけど、田舎の方が生命を支える条件がそろっている。 都会は資源を消費する場所だから、ベースがズレてるんだ。実践してそのズレに気づくことが移住の入り口になるんだよ。

お金のために頑張るなら、子供が幸せになれる世界のために全力で頑張ろうよと言いたい。それこそが希望につながるから。みんなで、それにあった経済の仕組みをつくり直せばいい。僕は実験と冒険好きだから、できないと言われるとやりたくなるんだよね。」

実践すれば腑に落ちる。人は自然の一部であり、答えはすべて自然にあるのだから。

 *****

他にも面白そうな記事が沢山
まだ読めてないけど。。。


特集ルポ01[新潟県上越市]
かみえちご里山ファン倶楽部 松川菜々子さん
ぐるぐるくめぐる、幸せの村

特集ルポ02[鳥取県智頭町]
タルマーリー 渡辺格さん・麻里子さん
田舎で熟成がすすむ「腐る経済」

特集ルポ03[千葉県いすみ市]
ソーヤー海さん
ギフトの世界に生きて お金から自由に

▽識者インタビュー[地方の経済ホントのところ]
地域プロデューサー 斎藤潤一さん
たった一人のワクワク感が地域の経済を動かす

▽地方の経済を動かす方法
物々交換
XCHANGE APARTMENTS[京都府京都市]

地域通貨
地域通貨研究家 栗田健一さん[東京都]

クラウドファンディング
EVERY DENIM[岡山県児島市]

シェアリングエコノミー
シェアリングエコノミー協会 積田有平さん

▽コラム [地方自治体でみる「地方の経済入門」]
地域を「経営」するとは?
村落エナジー株式会社 井筒耕平さん

▽ホントのこと教えて!
地方のリアルなお財布事情

▽地域ルポ[秋田県男鹿市]
地域とつながり、こだわりをもって、コト、ものづくりに取り組む若者が増加中!


Kaiの気まぐれメモ

哲学者、内山節さんの記事
地方を魅力的でかつ発展性のある場所にするためには、「仕事を生み出す力」が必要だ

人と人との間にある「あたたかいお金」

かつて日本には、たくさんの協同組合があった。住んでいる地域や職業、お寺の檀家の集まりなど性格はさまざまだが、それらが強固なつながりをもって、いくつも存在していた。


パン職人、渡邉さんの記事
時間=お金という常識から脱却する

原価を下げれば利潤が増えるが一時的に自分の手元に利潤を残すよりも地域の農家が潤うほうが長い目でみればメリットが大きいとタルマーリーは考える

 いまの日本の資本主義社会において、仕事と家庭の関係性は、どちらかを犠牲にしなければ成り立たないものになっているのが現実だ。