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Thursday, August 31, 2017

【マインドフルネス】対談:ソーヤー海X藤田一照 呼吸とつながって生きる



インタビューを頼まれて
ティクナットハンつながりの藤田一照さんと
呼吸のすばらしさや
マインドフルネスについて話したよ
check it out!


以下その一部

対談:ソーヤー海✕藤田一照①|呼吸につながって到着する。マインドフルネスの体現者であるソーヤー海氏が影響を受けた人物と、彼の人生とは?

(インタビュー開始時、お茶を飲もうとする海さん。召し上がる前に目をつむって手を合わせ、なかなか目を開けません...)


スタッフ お祈りですか?

ソーヤー海(以下、海) 到着。呼吸につながって到着する。

藤田一照(以下、一照) 今やってたのって、心の中で何か唱えてるの?

海 そうだね、二つのことをやっていて、一つは感謝。やっぱり、生きてるって奇跡だから。「今、生きてる!」っていうのを感じる。大抵ご飯を食べる前にこれをやっていて。ご飯があることに感謝とか、ここにいる縁の仲間の人たちとか、作ってくれた人とか、色々一通り感謝をいったり、ちょっと上手くいっていない人にも感謝をいってみたり。というのと、そのあとに呼吸を調えて、調えるというか、今の体と心の状態をチェックして、本当にちゃんとここにいるかどうかを確かめられてから食べる、飲む。

一照 定型の祈りの言葉みたいに、長さは別に決まっていないわけですよね。その時その時の感じで……。

海 決まってはないけど、一般の人に聞けば長いってみんな言う(笑)

一照 早く食べたいからね、みんなね。

海 そうそう、いただきますがよーいどんみたいになっているから、今の時代って。でも僕は到着する練習を入れられるだけ入れたい。それはティク・ナット・ハン(※1)の影響が大きくて。

一照 到着する。I have arrivedですね。

海 彼のお寺で、鐘が鳴ってみんなやってる作業をやめて止まって呼吸に戻るのと一緒で、食べ物を食べる前も「マインドフルネスベル」みたいな感じで、本当に自分がここにいてこの瞬間の奇跡に繋がれているかどうかを確かめてから、次の行動に入る。一つのやりやすい実践として。

一照 三食毎回?何か口に入れる時にやるの?

海 だいたい一日三食はそれをしていて、その他はフリースタイルで(笑)やるときもあればやらない時もあるけど、やらないと終わってから気づく。「あ、美味しかったんだっけ?」みたいな。意識がここにないとあっという間に今が流れっていってしまう、という体感を何回もしているから。本当にここにいればすっごく美味しく感じるけど、意識がどっかに飛んでたらいくら美味しくてもわからない。

一照 美味しさっていうのは客観的にあるわけじゃないからね。時間も客観的にあるわけではなくて、それを自分がどう活かしていくかで全然意味や味わいが違ってくるからね。

海 そうそう。あとは、呼吸をするのがティク・ナット・ハンと出会ってからものすごく好きになって。

一照 呼吸をするのが好きっていうのはすごいね(笑)

海 そう、呼吸って生きていることのevidence(証拠)じゃん。今呼吸をしているのは生きてるってことだから。それに気づけるだけでもう超ハッピーになるし。

一照 アタマの中の主観的な観念というよりは、からだでリアルに幸せを感じることができる。

海 息が入っていく瞬間に、「幸せ〜」みたいな感じで広がっていく。コスタリカのジャングルで暮らしてたり、生態系と意識的に関わり始めてから、酸素ってプランクトンと森がただで供給してくれて、それを俺は吸いたいだけ吸えるみたいなさ。で、何も見返りを求められていないから、吸っても別に恩着せがましく感じないし。でも、生かされてる。彼らの当たり前の役割に自分が生かされてるから、「うおー、ラッキー!」みたいなさ。だからそうやって意識がそこに向くだけでどんどん、どんどん幸せになって。

一照 そういうのは「知ること」と「感じること」が一つになってるよね、別々じゃなくて。ありがたいとか、感謝する気持ちとか、喜びとか、そういうのが「知ること」から自然に湧いてくる。だから「知」と「情」っていうのが分かれていないよね。僕らはそれを別々なことのように思っているけど。「知」と「情」っていう元々一つのものを一つに感じられる、自然の在り方をしてるなって、今聞いていて思いましたね。

続きはここ(masenji





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「オンライン坐禅会」という、Web上で取り組む新しい形の坐禅会を開きます。
坐禅の教えをWeb上で配信し、仲間とオンライン交流をとれる
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この新しい形のお寺の住職は、藤田一照というユニークな禅僧です。
曹洞宗の禅僧でありながら特定のお寺には属さず、アメリカに20年近く滞在し、
英語で坐禅の指導をしてきた人物です。
人生がパラダイム・シフトする坐禅とは

藤田一照はこのように言っています。
「坐禅はある目的を持った、決められた方法を実践して
セルフ・コントロールのメソッドを実行することではありません。
求めて得たものは必ずいつか失われます。
求めないという豊かな世界をわれわれに開いてくれるのが坐禅なのです。」

目的を持ったり、何かを目指したり、コントロールしようとする有心の状態。
このようなパラダイム(思考の枠組み)が根底から覆されることが、
存在の次元へパラダイム・シフトする坐禅です。
磨塼とは

塼とは瓦。
磨塼とは、瓦を磨くこと。
塼を磨いて、鏡と作(な)す、という意の禅語です。

瓦を磨いて鏡にしようとしなくても、何か別のものになろうとしなくても、
あるべき姿をただ全うすること。
瓦は磨いて鏡になるのではなく、磨いて瓦になるものです。

ここでいう塼とは、わたしたち本来の命のこと。
磨塼とは、自己本来の命を磨くことです。
それこそが坐禅です。

「大空」という広々とした無限の開けの中で、
これまで坐禅に触れる機会のなかった方でも気軽に、
磨塼という営みが行われることを願います。

磨塼寺事務局