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Tuesday, January 17, 2017

【Greenzの記事】子供とパーマカルチャー(後半)





*前編はここ


自分を信じること。子どものとなりで幸せであること。 マット・ビボウさん、本間・フィル・キャッシュマンさん、小野寺愛さんとともに感じる“子どもとパーマカルチャー”(後編)



 「パーマカルチャー」の本質を伝え、東京に着地させたいという思いを抱いた有志のみなさんによって開催された、2日間に渡るイベント「アーバンパーマカルチャー・ギャザリング with マット・ビボウ」。イベントレポート前編では、マット・ビボウさんによる「パーマカルチャーとは?」という問いに答えるかのようなプレゼンテーションの様子をお届けしました。

今日は昨日に続き、「こどもとパーマカルチャー」をテーマに開催されたDAY1後半、本間フィル・キャッシュマンさん、小野寺愛さんのプレゼンテーションの様子を中心にご紹介します。


マット・ビボウ(中央)
ポートランドのアーバンパーマカルチャー最先端を走り続ける実践的リーダーであり、パーマカルチャー教育者であり、ファーマーでもある。ポートランドのアーバンファーム「Jean’s Farm」を仲間とともに管理・運営するとともに、シュタイナー教育をベースにしたアウトドア学校「Mother Earth School」を運営。また、パーマカルチャー教育者を育成する「IPEC(Institute of Permaculture Education for Children)」のCEOや大学のパーマカルチャーコースの講師も務める。行政と市民活動をつなぎパワフルに機能するNPO「シティリペア」のコアメンバーとしても12年に渡り活躍中。2児の父。

本間・フィル・キャッシュマン(右)
2007年にパーマカルチャーの創始者ビル・モリソンのパーマカルチャーデザインコースを修了し、パーマカルチャーシステム作りの研究と実践につくす人生。2010年からパーマカルチャー講師としてコミュニティ・ガーデン、学校、農園や里山でワークショップを行い、2012年に千葉県和田町でパーマカルチャーAWA(通称PAWA)を設立。PAWAでは、大人向けのパーマカルチャーワークショップや子ども向けの食育菜園プログラムなどを行っている。エディブル・スクールヤード・ジャパンの代表講師として、各教育機関でも授業を展開中。2児の父。

小野寺 愛(おのでら・あい)(左)
一般社団法人「そっか」共同代表、一般社団法人「エディブル・スクールヤード・ジャパン」アンバサダー、「パーマカルチャー母ちゃん」主宰。旅とウィンドサーフィンに明け暮れた学生時代、外資系証券会社勤務、国際交流NGO「ピースボート」勤務、船上のモンテッソーリ保育園「ピースボート子どもの家」運営を経て、現在、「子ども×自然×地域活性」をテーマとする一般社団法人「そっか」の共同代表。「エディブル・スクールヤード・ジャパン」のアンバサダーとして、全国にエディブル・エデュケーションを広めている。三浦半島では「パーマカルチャー母ちゃん」として、小学校での大豆教室、映画上映会や、農園ピクニックなど、パーマカルチャー的暮らしを体験する場をコーディネート。神奈川県逗子市在住、3児の母。

子どもと出会い、パーマカルチャーと出会い、世界が変わった

マット・ビボウさんに続いてマイクを取ったのは、本間フィル・キャッシュマンさん。先にプレゼンしたマットさんへ感謝の気持ちを伝えたあと、まずはフィルさん自身がパーマカルチャーを実践している理由について、可愛らしいこちらの写真をスクリーンに映し、ゆっくりと語り始めました。

フィルさん 子どもがいなかったら、僕はパーマカルチャーなんてやってないんです。
それまで僕は、基本的に自分のことしか考えないで生きてきた。多分、今でもそうなんです。でも子どもが生まれてからは、自分よりも子どもの方が大事になって、「自分の」じゃなくて、「この子の」将来や幸せ、健康について考えるようになった。ここから僕のパーマカルチャーの旅は始まったんです。
かけがえのないお子さんと出会い、パーマカルチャーを学び始めて、まずは植物の素晴らしさや可能性に3年間完全にのめり込んだというフィルさん。時間があれば植物と土と一緒に時間を過ごすなかで感じたのは、「子育てとパーマカルチャーの考え方は、ものすごくパラレルで面白い」ということだったのだとか。

ここからは、「子どもとパーマカルチャー」をテーマにフィルさんが日本で手掛けた3つのプロジェクトが紹介されました。

まずは2011年にはじまった神奈川県小田原市のコミュニティ・ガーデン「Yes!Garden」。そして、東日本大震災で被災した岩手県釜石市につくった子どもの遊び場「こすもす公園」。
 釜石市につくった「こすもす公園」は、“食べられる公園”であり、“土に還る公園”。すべてその土地にあるものを生かして、震災により遊び場を失った子どもたちの居場所をつくりました


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